2015年9月20日 (日)

義務教育の義務者は

 安保法案も正面からの憲法改定を先にしていたらと考えます。第二次世界大戦の反省なし、憲法改定発議なしで法的安定性が無視されている現状ですから、絶対に反対ですよね。次の選挙で自由民主党は敗北させましょう。
 日本の問題として「皆を納得させることができないから、適当に解釈を変えて・・・」ね。徹底的に議論するとかをしないで適当に済ませてきた結果が太平洋戦争ですよ。国会での論戦を聞くと与野党ともに本質外しが上手ですね。
 そりゃ、全員賛成とかはあり得ないですが、2/3以上とか3/5以上とか過半数とかは可能でできるはずだと思います。投票数ではなく有権者数でね。大阪都構想の住民投票は今回の安保法案に対する政権側の対応に比べたら非常に民主的ではと考えられます。ただし、中身がよくなかったのではと感じましたけどね。 
 適当な解釈変更でのごり押しは北朝鮮などの政権と大して変わらないのではとね。ドイツを見習いなさいよ、先の大戦に対する反省等の取り組みがあっての国防軍の国外派遣だよ。日本は戦争を起こしながら被害者ぶっていると近隣諸国民は思っているでしょうね。こんな国だから原発事故も起こるのですよ。
 ところで現憲法の条文にある教育についての記述をじっくり読まれたことがありますか。
 第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
 2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
 以上の通りです。どこに教育を受ける側に義務があると書いてあるのですか。「権利」であるとは記述されていますけどね。パキスタンのマララさんも「権利」といっていますよ。
 「すべて国民」という記述より「義務者」は国および地方公共団体と保護者です。ですから、権利者が安全に権利を行使できる環境をつくる必要があるのですよ。権利行使においてほかの権利者が安全に教育を受ける権利を妨げてはならないですよね。
 「いじめ」はこの他者の権利を否定する人権侵害であり、憲法違反であるのですよ。この教育権より上位の権利は「生存権」のみです。人格的生存権が脅かされている状況が漫然と放置されているのが頻発しているのが現状でしょうか。
 いじめ以外にも国および地方公共団体および保護者それぞれの教育権を脅かす施策や親権行使等がありますけどね。「就学猶予」は大抵国および地方公共団体の怠慢かな。
 「義務教育」の意味を取り違えている面々も共犯かな。
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2014年4月20日 (日)

疲労骨折と指導者の無勉強

 4月16日のNHKクローズアップ現代で女性の無月経と疲労骨折についての放送がありました。女性アスリートで目立つ疲労骨折についてです。ある女子高校生はバレーボールでしたか、高くジャンプするには体重を減らせと指導者に言われたとか。
 バレーボール部活動をしている生徒に、それも全日本級にぶよぶよがいるわけないでしょ。重いだけで勝てると思っている相撲力士じゃあるまいしね。脂肪は同世代では極限まで少なくなっている可能性が高いですよ。
 それに「体重減らせ」とは、はっきり「あほかお前は、人体について少しは勉強しなさい」。そう不勉強を通り越して、無知蒙昧ね。もう、筋肉と骨しか残っていないよ。そこから、減らすと骨が犠牲になるのはわかりきっていますよ。
 消耗性運動ではよく疲労骨折するのは有名なはずだよ。
 勉強セイ。
 それと「減量」で目的を達成しようとするのは「零戦」からの伝統なのかな。太平洋戦争後期になって、高出力のグラマンとかの登場で零戦は主役から転落ですね。装甲とかが弱すぎて、13mmの機関砲1発でも簡単に空中分解して墜落したとか。グラマンは20mm機関砲が命中しても落ちなかったとか。運動能力は「出力」と「質量」で、普通に全国大会レベルを目指して部活している者に減量の余裕はないと思うのですが、判っていないのでしょうね。だから、海外に多いですがドーピングに走る選手が出るのですよ。
 ジャンプ力アップですと、それなりの理論に裏打ちされた体に優しいよい方法で指導しなさいよ。大学での勉学の目的は「自学自習」ができるようになることも大きいですよ。ですから、アメリカでは医師も再学習の厳しいこと、厳しいこと。日本は甘すぎます。体育指導者の人体についての理解の低いのが多いのと同様に精神状態についての理解も低いのが多すぎます。もっと、勉強しなさいよ。だから、体罰事件も絶えないのですよ。
 少しは選手のことを思っていたら、1回目の疲労骨折でなにか考えると思うのですが、思考回路が全く修正されることなく、「いわれてきたとおりに強制する」というだけみたいですね。「データに裏打ち」とかいう以前の「データを取らない」だものね。診察した医師も「疲労骨折」というのなら、背景を探る試みをするべきかな。医師と指導者ですから「べき」でしょうね。高校野球での日程の緩和が漸くおこなわれていますが、まだまだ不十分でしょうね。
 大体から、高校ぐらいまでは全国大会をなくす方がオリンピックでのメダルが増えるかも。口先では「育成」とかいってますが、「育てる」を忘れて全国大会優勝とかに固執して児童生徒を潰していませんか。

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2013年9月 1日 (日)

学力テストの順位競争で失うもの、学力

 文部科学省の全国一斉学力テストの結果が出ましたね。その巷の反応をニュースでみていると、あの昭和の大失敗させられた学力テストの失敗させた方の亡霊を見る思いを抱きました。はっきり言って「順位で何があるの?」。まあ、よい方がちょっとだけましかなとも思いたいのですが・・・。
 世界的に見ても、ある程度豊かになってくると、競争というか順位付けでは学習から逃げてしまうのがでやすくなるようですね。それと、この順位には人間性の評価が全く出てこないですよ。どこかの国の金の亡者みたいにあっちが儲かりそうだと思うと雪崩を打って向かい、こっちと思えばドドッとね。それと同じでじっくり育てるとかがなくなって「ともかく得点がとれればよい」だけの人間を育てることになりませんか。
 あの昭和の学力テストの時、優秀だった県から人材が輩出したという話は聞きませんね。並でしょうね。普通の児童生徒は「順位で評価」が普通と思い込むかも。評価してから並べてみたら順位はでますが、そのときの基準は? 価値観は? という大切な部分が抜け落ちたまま比べることになるのでは。
 ノーベル賞の価値観は「人類の幸せにどう貢献したか」だとノベール賞受賞者の野依良治氏が母校での講演で述べられたいました。受賞理由のなかに「優秀」とかの言葉は全くないとね。中国や韓国からノーベル賞受賞者が出にくい理由かも。日本もでが科挙の伝統、暗記試験の順位での評価の伝統とはほど遠いと思います。ということは、日本で暗記による順位付けから抜けていたところがあったのかも。
 小柴氏は東大理学部物理学科をビリ卒らしいですね。田中耕一氏は東北大学で留年したらしいですね。下村博士は俗にいう秀才ではないですね。益川氏も逸話を持っていますね。そして、どなたも、俗にいう順位競争はせずに自分の信ずる道をというか、努力されてきたということだと思います。いかに自身の力を伸ばしてきたかということです。そして、「これだけしたら十分」というのはないでしょうね。各自いろいろだと思います。学力テストの範囲は、ある意味必要最小限かも。順位や平均点とかが簡単にでるのは、よくて必要最小限のことだけかも。真の学力評価なんてできないのでは。
  だから、学力テストの順位は学力テストの順位であって、その人の能力の一面しか評価していないのと同様に都道府県の順位も学校順位も単に一面だけね。児童生徒の学力全般や諸能力の向上に取り組んで、よかったら儲けもの程度でしょうね。それより、生涯を通して活躍できる力をつけさせるため、その一部を担う学力についての全国調査が目的であって、順位付けはおまけでもなく、完全に目的外のはず。アメリカでは学校間競争、イギリスもかな、で、学力が低下したという報告もあります。

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2013年6月18日 (火)

大学入試用の新テスト構想で思うこと

 なにか大学入試センター試験に代わる新しい試験を導入しようかという話が出てきていますね。で、今の大学入試センター試験での一番の問題点は得点を「基準点方式」ではなく、「普通の競争試験扱い」にしたことにあると思います。そして、1月に1回だけとか、などなどがありますけど、問題としては「良問」のやまですね、択一式にしてはです。新しいのは「到達度」方式とかいっていますが、すべての大学に守らせることができるのか。「競争試験的」には使わせないこと。それ以前に「高校卒業レベル」とはどの程度なのでしょうね。ですから、当然「大学卒業レベル」とかですね。最低水準をどう設定できるかが、回り回って入試に大きく影響すると思います。
 「教育とは何か」、他の子と競争して1点でも多く取れればよいですか。では、筑波大学付属駒場高等学校や灘高等学校などの生徒と単純に競争して上回れる生徒はそう多くはないでしょうね。校内でのこの手の競争は「諦め」と「手抜き」で意味のない競争になってますよ。「平均点あったもの」とかテスト後、堂々と言っているのは「その学校での平均点程度までしか勉強しないよ」と宣言しているようなものではないでしょうか。後追いがこのような状態では上位者は楽ですよね。多くの学校で意味のある学習がなくなってきているようです。
 日本経済新聞に一橋大学も「就活」や「学習指導」で手を焼くようになった様子が、東京大学での「指示待ち族」増加の話もありますね。まあ、「様子見」は必要なことがあると思いますが、どのくらいの期間、どの程度まで様子見するかの決断もできないような感じを受けました。「自発的に」考え、熱心にいろいろな活動に取り組んでいる学生の割合が減ったきたから問題になるのでしょう。
 入試制度を「より精密に」や「より正確に」とかするより、少々アバウトでも「入学後」鍛える方式の方がよいのでは。当然、「留年」とか出てもよいではないですか。それより、「何もできないまま卒業」させるより、よいと思います。優秀な学生を育てるには「優秀な親」(この優秀というのはどのような意味でしょうね。)が必要ですよ。子どもの足を引っ張らない優秀な親がね。
 「親の思うとおりにさせる」は「見えない虐待」かな。見えない虐待被害に遭っている子どもは多いですよ。もう、「アバウト、アバウト」でね。ただ、子どもは大人の背中を見て育ちますので、このことを踏まえた「アバウト」ね。単純バカ的アバウトは子どもにとっては悲劇だと思います。

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2013年3月31日 (日)

教育について

 教育について何回でもと言う感じで書きます。教育としましたが、スポーツ活動等も同様に考えることができると思います。
 最近、スポーツ関係の部活動で顧問による体罰が表面化しましたね。勉強でいうと「順位が悪い」とかで子どもを怒鳴りつけたりするのと同様ですよ。「欠点1つでびんた一発」なんていうのもありますよね。そこにあるのが指導する側がそのような方法で育てられてきたというのがあります。順位競争をさせるのは絶対評価ができないということの裏返しですよ。「真の学力」が判っていないだけですよ。
 何年か前に野依良治氏が日本経済新聞私の履歴書に「息子は男なので父親の背中を見て育った」と、このような話は湯川秀樹氏の家族とかでもいわれていました。親の生き様が子どもに影響しているということです。ですから、親が「順位、順位」とばかりいっていると気力が切れると脱落してしまいやすい。「中1ギャップ」でも、成績で子どもをしかる親の元で起こりやすいと日本経済新聞でありました。
 ですから、「解る」「できるようになる」ということが楽しく感じられるように親は教師は子どもに実感され続ける方が順位とかで追い回すよりよっぽど効果的です。
 何日か前の日本経済新聞に運動能力について「多種多様なスポーツの重要性」というのがありました。ある中学校の運動部顧問がテニスのサーブのトスができない生徒がいたということからいろいろなスポーツを体験させたところ、それまででは考えられないところまで大会で勝ち進むようになったというのです。実際、諸外国ではいろいろさせているということです。学習でも「テストに出る」ものだけでなく幅広く学習する方が力がつくといわれています。
 俗に「効率」を追求した学習や練習より、興味関心、そして、好きだから自発的にという方が強制するより効率的です。一流を見せることですね。どうすれは一流になれるのかを思わせ、一流になる気を起こさせることかな。能力のすべてでなくてよいということも、ただ幅広くが役にたつということが実感できるようにね。ですから、クラス順位、どうして必要なのですか? 学年順位どうして必要なの? 周りの子どもと比べてどうするの? 野球とかでチーム編成の時部員が10名以上ですと正選手というか先発メンバーを決めるときは何らかの基準が必要ですね。入試みたいな時にも。でも、普通の時には隣と比べる必要はないですよ。
 それと、自分ができなかったことを子どもに押しつけないでね。テストでは満点のみとかいうものです。
 私のうちでは子どもに「親の学歴を越えるのは楽だね」とかいってました。「勉強しなさい」とかもほとんどいわなかったです。特に高校の時はね。2人のどちらも旧帝国大学、うち1人は某大で飛び級しました。世間がアホみたいな子育てしてくれていたので楽でした。

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2013年1月20日 (日)

体罰から思うこと

 高校で一流と思う部活動顧問に有名になった中では野球部監督 池田高校蔦監督やラグビー部では伏見工業高校 山口監督 などかなと思います。他にもおられると思いますが、無名から有名に育て上げているのが名指導者かな。それも学校が力を入れて有望選手を集めていたらこの中には入らないですよ。体育学科なら元は無名ではないですよ。生徒の努力だけかもね。ダメなら顧問は入れ替えるという気になれば、アホみたいな体罰教師は潰れますよ。
 各都道府県立などの公立高校での教員の転勤では、いろいろあります。俗にいう「レベル」の違いをはっきりさせていると聞いたことのある県。初任校のレベルで横滑りが多い県。その他はしらない。問題は「横滑り県」。ここでは教員の資質ではなく、「レッテル」で決めているのですね。ですから、言い方は悪いですが、「有名校」にカスが集まるとそこのレベルが下がることに。ただ、学区制が没落を防いでくれますので気がつかないことにね。運動部の顧問でも同じことがいえるのでは。その上、学閥の強さもあれば、カスでも威張れるのが日本かな。
 カスは仕方がないので部活では「精神論」で、始めから「根性」。力がつくと普通大抵の生徒は根性が出てきます。子どもには向上心や好奇心がありますから。ところが、カスは向上心や好奇心をまず潰していますので、「鞭」で責め立てるしかないのでしょう。そして、憂さ晴らしに暴力の体罰にね。報道の中に「体罰」関係の訴訟がありました。「顧問の指示と違う練習をした」といって体罰。顧問はあほか。体罰ではなく、どうして指示の練習が必要かを理解させる方が大切ですね。もし、それで生徒が理解できないという場合、「あんたの指示した練習がカス。勉強し直しなさい。」。学校の現場では「カス」が多すぎて「悪貨が良貨を駆逐する」の事例がごろごろしてます。いじめも増えてこそあって、減りはしないでしょうね。
 カスは勉強をしないので、野蛮な練習法を変えようとしないですね。そして、外野がうるさくなって仕方なくということか。でも、本心は変えたくない。カスは「自己満足」のため、生徒が犠牲になることを何とも思っていないのでは。そして、このような環境で育った子どもはそれを「不自然」とは思わないのです。そして、違ったことへの「怖さ」もあって、それをよかったと思い込む「合理化」で自身を誤魔化しているだけですよ。
 カスに指導されてきていると、練習や勉強で「考えたりする必要」がないので楽ですから、それに満足することになって、自分で「考える必要」な事象に遭遇しても「考えることが出来なくなります」。そりゃあ、「考える」というのは疲れます。が、やみつきになると、楽しいし、学力などの能力の伸びは大きくなります。「考えない」は伸びませんよ。教えられた程度に達すれば、非常によかったと思えます。高校生の科学オリンピックにいけるような生徒は高校の教師の範疇ではないです。遙か先にいっています。スポーツでもそのような場合も、音楽でもかな。音楽の場合は一流に指導をして貰うようになることが多いですね。ところが、スポーツはカスに指導されて続ける可能性が高いです。
 また、伝書鳩が寝ぼけた鳴き声で外国で鳴いたみたいですね。

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2012年1月 1日 (日)

「想定外」というのは「思考停止」状態

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 昨年は東日本大震災や台風被害など自然災害が多かったですね。
 ところで、東日本大震災のとき、よく耳にした言葉に「想定外」というのがありました。この言葉を使えるのは、普通の庶民だけではと思います。そして、本来は庶民の方にも使って欲しくない言葉では思うのですが、専門家や官僚、企業関係者から連発されましたね。
 「想定外」というのは「想定」していなかったと言うことですね。自然現象すべてについて、我々は経験してきたわけではないのです。それをたかだか150年程度の期間の観測などの経験を元に「想定」しているわけですね。地球は誕生してから46億年でしたね。ホンの一瞬の経験でしかないのですね。
 日本の教育では「暗記」と「反復練習」とかがもてはやされ、「順位付け」が好きですね。そこには「好奇心」や「思考」などが置いてきぼりにされているような気がします。そうすると、過去の経験されたことを「暗記」するのが勉強になってくるのですね。そして、例えば、帝国陸軍においては日露戦争では「突撃」とかの戦果だけが残ってしまったみたいですね。ノモンハン事件の惨敗はその成果かも。
 また、昭和の学力テストの失敗は「平均点競争」であったと記憶していますが、今、平成の学力テストで「平均点公表」が声高に叫ばれています。これは、「勉強」=「平均点」というなにかむなしいものに子どもを追いやっているように思うのです。
 そして、「思考」とかがないため、未知の分野を考えて見るという力が落ちてきているのでは。今回の地震でも、同じ海溝型地震としてチリ大地震やスマトラ沖地震があったわけですね。たかだか100年ほどの経験で日本海溝では起こらないと決めつけてしまっていたのが専門家や官僚などでしたね。阪神大震災でも「神戸では地震はない」と決めつけていた人が多くいたようです。こちらは内陸型なので~1000年単位という間隔では見られていたようです。なら、海溝型でもそう考えるべきだったにと思うのですが、そうならなかったのは「教育」に原因があったとかもしれないですね。
 それと、「慢心」。原子力発電所の事故に際しての現場での運転員の対応とかが明らかになってきていますね。「想定内」の指導しかしていなかったと思えるような運転員の対応ですね。ですから、「全電源喪失」という「想定外」のことはまともに指導されていなかった見たいですね。マニュアルも「書いてある」状態だったようです。これでは、スリーマイルやチェルノブイリの運転員と大差のないことしかできなかったのは当然かな。訓練されていないのですものね。日本の防災訓練などの質の低さは酷いですよ。改善が必要ですが、されないですね。
 どうしても行政とかいろいろな面で「想定」というのは必要なではと思いますが、常に「想定外」のことにも思いを巡らすことの出来る教育というのが必要なのですが、これは「順位競争」ちは馴染まないと考えます。また、「単純丸暗記」より「思考を伴う学習」による暗記の方が定着はよいようですが,広まらないですね。

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2011年12月17日 (土)

「やさしい虐待 ~良い子の異変の陰で~」虐待について考えましょう

 2011年12月14日のNHKクローズアップ現代で「やさしい虐待 ~良い子の異変の陰で~」という題の番組がありました。番組の冒頭での取り上げ方から日本評論社の「こころの科学セレクション」シリーズの中の「依存と虐待」斉藤 学 編集にあった「共依存と見えない虐待」に中に述べられている虐待と通じるものを感じました。この本は1999年12月に発売されています。漸く、NHKでも取り上げられるようになったという感じがしました。
 この件については以前にも触れていますが、今回、また書かさせて貰います。
 子どもは親から徐々に離れていく傾向があるのが普通です。そして、反抗期や何らかの事象のあるときに自立することになると思います。共依存状態ですと、親が子どもに干渉しすぎることになっていくようです。それは、躾であったり、学習面であったり、するというのです。一般的に言われている「虐待」は暴力や暴言で子どもを支配しようとして、身体を直接傷つけ、精神面(人格)も傷つけます。ところが、共依存的要素による「やさしい虐待」では、周りから見た場合、「躾」を優しい言葉で、「学習」については成績面ですが、「頑張れ」とかで一見「良好な親子関係」にも取れるようです。しかし、どちらの親の意向に従わせること、子どもに依存し、自らの安定を得るために子どもを利用してとも考えられます。
 ですから、躾が行き届き、学業成績もよい子がこの「やさしい虐待」の被害者になっている可能性が高いわけですね。世間的に「良好な親子関係」とみれますからね。「親の期待」を子どもに押しつけるのも「虐待」ではないのでとも思います。「家族会議」で子どもの進路を決めるというのも虐待に繋がる可能性が高いわけですね。大抵は、「親の意向」に従うことが多いようです。「家族会議」と銘打ってする前に「親子で相談」というのが普通あると思うのです。その時、「子どもの本心」からの希望とかが伝えられているからですね。まあ、軟弱な希望のこともありますが、中には「?」と思うような結果を聞いたこともありました。「見えない虐待」の可能性が。また、成績での縛りですね。これも「見えない虐待」の可能性が。
 子どもにとって、第二次世界大戦前の方が進路の選択肢が実質的に多かったのでは。戦後、多くの価値観が潰れて「偏差値」というものを「魔物」にしてしまったようです。また、内申書重視の高校入試で「校内順位」という魔物も作ってしまったのです。
 それによって、ほとんどの親が子どもに期待するのはどこも「高偏差値」「高内申点」と同じ目標になり、子どもを追い立てており、学校でも追い立てているのでは。そして、「子どもは親にそのままで愛されている」という当然の権利が無視されている家庭が増えてきたのでは。要は「子どもを順位や偏差値の善し悪しでしか評価できない親や教師」です。これは、ある時の「カウンセリング研究会」であったある高校からの報告を聞いたときにも感じました。ところが、報告者は気がついていないのですね。
 「子ども」は生まれたときから親の愛(成績とか関係なく)を受ける権利を持っていますが、それが十分ではなく、且つ、「親の意向」のみに従わせようとしていることが原因の一つと思うのですが、いかがでしょうか。

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2011年9月 2日 (金)

教育には飛び級や待ちとかが必要なのでは

 2011年になっても、大阪府の橋下知事などの教育への話しぶりですと、同一学年での順位争いをさせるのを想定させるような言いぐさが耳につきます。
 そして、飛びや待ちとかが出来ない硬直した教育状態にしているのに気がつかないようですね。「飛び級」ではなく、「待ち」そう児童生徒の成長を手助けしながら待つわけですね。ところが、今の日本の教育への意識ですと「待つ」というのは「原級留置」も伴うこともありますし、そうでない場合は補習とかですね。これ、「平等」というをどう捉えるかです。待たないときは、判らなくても進級ですね。判らないから「丸暗記」とかになっていきますよ。それと、教育の意味の取り違えが深刻になっていきます。
 本来、子どもは勉強好きです。それを自発性のない義務感覚の受け身の教育にしていくのは、親や教師が子どもの成長ではなく、ただただ「順位」で見ているからでしょうね。ですから、「丸暗記」大好きが多くなってきているのでは。「丸暗記大好き」生徒とかには、覚えることだけで考えさせずに覚えさせ、トレーニングすると取り敢えずは覚えています。ですから、大学入試センター試験で考察問題とかを増やすと平均点が下がるのですね。考察問題は出題教科によっては作りにくいのがあるみたいですね。
 元々日本人は「覚える」というのが好きだったりしているのかな。「読書百遍」とかいう言葉もありますね。でも、以前は「遊び」が自然を相手であったり、多学年で構成されていたりでした。どちらも減ってますね。クラブ活動は多学年ですが、多くの場合は管理されていたりしてね。
 「飛び級」の方ですが、飛び級が出来るほどというのは「優秀」なのですが、単純な順位でのみの評価を続けていたらどうなるのでしょうか。親がしっかりしていないと「慢心」というのが起こりやすいですね。ですから、出来る子にとって「相対評価」は「皆でサボれば怖くない」の入り口になる恐れがあり、その時、たまたま順位が悪いのが続いた子にとっては,さらに順位の子、点数の悪い子があれば、「ラッキー」になってしまうようです。勉強内容も発展性のない記憶中心に向かってしまう恐れが多いですね。
 教育とは、子どもがどう成長したかであって、何番になったかではないのです。何番とかは「入試」の本番だけでいいのでは。それも、出来るだけ「アバウト」な判定で、入学後、勉強させて卒業基準を守って貰う方がよいのでは。そして、何浪しようがいいではないですか。どれだけ、「飛ぼう」がいいではないですか。そうすれは、今よりは「勉強」に向かってくれるのではと期待しています。
 私の家庭では「何番?」とかいうのは、塾通いの時でもほとんど出ませんでしたね。大学入試の時もね。俗にいう「難関大学」に進学してくれました。「勉強しろ」といったこともほとんどありません。親が見本をみせればよいのですし、幼児期とかには本読みとかの遊びのお相手はしました。俗にいう早期教育はしていません。「勉強は楽しい」を実感させるのいいですし、順位競争を親とかがけしかけると「勉強は義務」になりますよ。

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2011年3月22日 (火)

どうして、危険性の認識ができないのか

 3月22日現在で東京電力福島第一原子力発電所はまだ安定的に核燃料を冷却できる状態ではないようですね。そして、自衛隊、東京消防庁、東京電力や関係会社の隊員、現場社員が奮闘しています。
 ここでは、津波に対する認識の甘さですね。そして、この大地震のあとで、緊急地震警報が乱発気味みたいな感じで「オオカミ少年」みたいに思う人が増えてきてると報道が伝えていました。
 この2者ですが、同根ではないかと考えられます。具体的な危険状態になって、初めて危険性が理解できるというものです。ようは、災害が起こって気がつくというものですね。これは、他にも多数見られます。
 今、書いたのは地震関係でしたが、習慣性毒物(ニコチン)のでる嗜好物になると、さらに話が難しくなります。そして、放射線や放射性物質については、まともな「知識」がない上に話をよく聞かないために過剰反応をしてしまうというものです。
 原子力発電所の想定津波は5mだったというのですね。これ、高潮程度では。前にも書きましたが、スマトラ沖の地震では10mを越えていましたね。結びつかなかったのですね。目の前のプレートの境界面にも。これは、バラバラみたいな情報から関連性とかを導きなせないのですかな。
 それは、ニコチンや有害物質を出している喫煙行為でもですね。こちらは、自己の行為の「美化」(ニコチンによる)がつきますけどね。緊急地震警報に関しては、外れだけの印象が残る人が多いのでしょうね。ですから、数年前のチリからの津波の時、もっと大きな津波がきていれば対策が違っていたとも思います。あれで、甘く見た人も結構いたのでしょうね。
 これらの要因の一つに教育の問題があると考えます。なぜか?例えば、一問一答シリーズを主に愛用している生徒がいるようです。上手に使えば、役にたつものをそうでない使い方をしているようです。これは、項目間の関連性とかを見落としやすいですね。実際、「暗記」に頼れば、取り敢えず得点できる問題が出題されてばかりということもあるかもしれないですね。
 いくつかの要因が関係してくると考えることができなくなるのでしょうね。そして、その要因、例えば津波の高さとかは震源からの距離、地震の大きさ、地形とかで違ってくるのが理解できなくなるのかな。ですから、大学入試センター試験の問題は択一式ですが、その教科科目の内容を上手く使って「思考」させるようにしているので「センター対策」なるのが流行るのですね。「長文読解ができて論述」できればできるのにです。
 緊急地震警報のように外れが重なると記憶がそれに固定される人が多いのもこのような傾向を助長している教育に問題があると思います。それは、考えさせるとかではなく「順位」とかが出ればよいという問題で「順位」と「平均点」などで人を評価してしまう風潮、その弊害に気がつかない親や教師が延々と日本にいたからでしょうね。

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