2008年1月 7日 (月)

情報を活用には「受け手も智恵が必要」

2008年1月6日付日本経済新聞「SUNDAY NIKKEI α」の健康面にある「健康情報 読み解く」というコラムで「受け手も智恵が必要」という見出しで東北大学公共政策大学院教授の坪野吉孝氏が書かれていました。
昨年の「あるある大辞典」での騒動ですね。その例から解説されています。捏造発覚の前の「納豆ダイエット」の件である記者が問い合わせてきたというのです。「納豆ダイエット」の信憑性についてですね。記者が疑問を持ったのは良いとは思うのですが、返事を「翌日」にといったということです。責任ある回答をするには1週間程度必要なことなので断ったということです。記者はどう考えていたのでしょうか。即答ができないこともあるというのに気がついていなかったのでしょうね。今は「即答」とか「即効性」をやたらと求めていますからね。その結果が、以前より悪くなったりしていることに気がついていないですね。
食生活と健康との関わりについては長期に渡る大規模な集団の追跡調査が欠かせないのです。それを少数で短期間で結果を求めようとするから「捏造」に走る原因にもなっているのでしょうか。
問題は受け手側も「即答」や「即効性」を求めすぎて、情報の信憑性を無視している、というか、信憑性を判断するために必要な「活用できる知識」や「智恵」を持っていないから「鵜呑み」してしまうのでしょうね。
これは、健康情報以外の情報でもよく見られることですね。「鵜呑み」にして「行動」する。調べようとしないのですね。
これは、日本人の国民性でしょうか。あの戦争に突入していった当時の軍部の上層部は当時の「エリート」ですね。ただ、自分らの記憶にあわない情報を無視していた。都合のよい情報のみ裏を取らずに取り込んでいたのですね。
情報を活用するためには「幅広い教養」が一番必要な基礎かもしれませんね。それも「活用できる智恵」ですね。
今、一番教育に欠けている点かもしれませんね。その結果、学習者は学習したことをよく忘れますね。

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2008年1月 5日 (土)

日本人にあるの?「サイエンスの心」

2008年1月7日新春特大号の日経ビジネスの有訓無訓に江崎玲於奈氏が「”サイエンスの心”が日本の限界打ち破る」という見出しでこの「サイエンスの心」について述べられています。
江崎氏のいう「サイエンスの心」とは「物事を論理的にとらえる思考力です。これは科学や技術に限った話ではなく、西洋の政治や経済、社会の隅々にまで多大な影響を及ぼしてきました。・・・」です。
「物事を論理的にとらえる思考力」ということですね。例として、太平洋戦争の時のことを取り上げられています。日本は「一億一心」とばかり、「勝利」のみを信じこんで)特に軍部)邁進した結果、負けましたね。しかし、西洋の二元論的思考では「勝ち」と「負け」の両方を想定し、勝つ方法だけではなく、時には「上手に負ける」ことも考えながら戦っていたというのです。
「物事を論理的にとらえる思考力」というのがなかったからということです。
物事の一面のみをみて、それを信じ込むというのが日本では幅をきかせていますね。「出る順・・・」とかいう参考書ですね。これが役に立つのはその分野全体が十分理解できてからだと思うのですが、「勉強は最小限」という意識の下では「出題されるのだけ覚えればよい」とばかり利用されているのでは。知識の細切れかが起こると理解できないし、忘れやすくなることに気がついていない。「学習」についての科学的考察のなさがなせる技ですね。まあ、「勉強とは暗記」という論理的考察のない思い込みがあるかぎり続きそうですね。
OECDの学力調査で世界トップクラスのフィンランドの授業時間数は世界的に見て少ない方でしょうね。日本と何が違うのでしょうか。この違いを理解するために必要なのが「物事を論理的にとらえる思考力」ですが、ちまたでは「授業時間数増」のみが声高に叫ばれてます。
帝国陸軍の中枢は「エリート」だったですね。それも海外の軍事情勢に「目を閉じていた」としか思えない行動をしています。「物事を論理的にとらえる思考力」を持ち合わせていなかったと見るべきでしょう。
「物事を論理的にとらえる思考力」を持っていないと、自らの行動で墓穴を掘ってしまうことが頻発することになると考えています。
企業経営だけではなく、いろいろな場面でいえることです。

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