荒れ野の40年
ドイツの元ワイツゼッカー連邦大統領がドイツ統一前の1985年5月8日におこなった演説です。
この中に「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」というのがあるのです。現在どころか未来に付いてもあると考えられます。
この「荒れ野の40年」ワイツゼッカー連邦大統領演説全文(1985 年 5 月 8 日)は岩波書店から販売されています。
アマゾンでは572円のようです。
日本は過去に対して目をそらす、、目を閉ざすことが多いですね。「臭いものに蓋」ですね。これで、何回も同じ間違いをすることにね。
冤罪もこう頻発するのも検察内部では「過去に目を閉ざす・・」になっているからでしょうね。
大きいのが「評価制度」かもね。地域ガチャで事件が起こらないところでは業績用の事件がないですね。大阪地検は東京に比べてかな。なので、郵便での事件での不祥事から検察の取り調べに「常時録音」されていてもプレサンスで起こってしまったのですね。
どちらもより手柄にしたいという思いが勝ってしまったのかな。局長の犯罪、社長の犯罪で手柄にしようとね。地域ガチャを考慮した評価制度が必要なのに全国一律ね。
高校入試の内申書の相対評価、生徒が一人だけの中学校ではどれだけ優秀でもどれだけできなくても5段階で3でした。こういうのはおかしいというのがいわれても目をそらしていたのですね。
国民全体の問題かも。企業などでも無駄な仕事が多いそうですね。でも、前からしていたのでとかで止めることができない。ブラック校則は止めたときに起こる変化が怖くて止めれない。普通はないかよい方向ですよ。でも、変化が怖くて止めることができない。
過去を適切に検証するという伝統がないからですよ。冤罪は昔は殺人とかでもあったようですが、今は公安事件が主流のようですね。
これは科学捜査の進歩のお陰かな。
アメリカなどと違って反省のできない国なのです。語り継ごうね。
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