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2019年2月17日 (日)

天皇は政治的実権をいつまで保持できたのか

 大日本帝国憲法においても日本国憲法と同様に実質的には象徴天皇であったと司馬遼太郎氏は『雑談 「昭和」への道』で述べられていました。
 ところでいつ頃かのかということです。日本の歴史で天皇が実権を取り戻そうとした最後が建武の新政(中興)かな。そして、足利尊氏の反旗だったかな、南朝に追われたわけですね。で、尊氏によって北朝にも天皇が即位したのですよね。後に南北合体で北朝の系統が今に続いているのでしたよね。
 この前の鎌倉幕府の頃はまだごそごそしていたのかな。天皇はその時々の最有力者への権威付けで生き延びてきたのではとね。なぜか、武将等もこの状態を受け入れたわけですよね。その典型が徳川慶喜による大政奉還だったかな。で、天皇は実権を行使することはなかった。
 海外向けに天皇の名において何かの国家としての行為は明治以降におこなわれることになったわけですよね。特に昭和以降かな。でも、天皇は事後報告を聞くぐらいだったと司馬遼太郎氏は述べられていました。でも、海外の人々にとっては「天皇の命令が実際にあって・・。」とすり込まれていったわけですかな。刷り込みを時におこなわれたのが朝鮮であったり、帝国陸軍は絡んだ地域であったのではと思うのです。
 天皇は室町時代になったときには象徴だったと思うのですが、朝鮮併合とかの時の後遺症で国会議長の発言とかが出て来ているのではと思うのです。他の人の名前で犯罪を犯した面々を拝みにいく人の気が知れないのです。
 何も発言できずに我慢された天皇陛下だったと思っています。
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