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2018年1月13日 (土)

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No281

昨年同様今年も生き延びる予定にしています。動作等も悪化しないであろうとね。悪化だけはさせたくないですよね。   昨日投稿の感覚についてですが、リハビリ病院退院後1年ぐらいだったかな、コンタクトレンズをちょくちょくなくすので予備を作ろうとコンタクトレンズ屋さんに行きました。   一昨日投稿のように「悪化させない」というのは年齢のせいもあります。多くの方が健常といわれている方でも関節の動きなどで衰えが出てくる年代ですからね。   甘く見たらだめな感覚麻痺。視床はほぼすべての感覚の大脳への中継をしています。また、大脳と小脳との連携による動作の最適化の連絡中枢でもあるのですよね。   「悪化させない」というのですが、何時を基準にするとよいのでしょうね。   「脳卒中は治るのか」ということについて。基本的には寿命との関係です。ほかの病気より長期にわたる回復過程が必要だからです。   未だ未だ感覚の回復は不完全です。

 1月1日(月)、明けましておめでとうございます。昨年は投稿を読んでいただきありがとうございました。昨年同様今年も生き延びる予定にしています。動作等も悪化しないであろうとね。悪化だけはさせたくないですよね。四肢では筋肉が固くなるというのは悪化ですよね。関節の動きが悪くなるというのもね。ところで、コンタクトレンズの違和感が突如激減したのですが。ただ、恒常的に激減ならまぶた等の感覚の回復と調整がほぼ終了してくれたという可能性もありますが。しばらくして、またぞろ、まぶたの違う部位の感覚の回復過程に突入されたら、また、違和感でコンタクトレンズがずれたり、浮き上がったりで世間が見にくくなることが起こるかもしれないです。本当に神経ってどのくらいあるのでしょうね。回復にどのくらいの期間が必要なのでしょうね。まぶたにとって、コンタクトレンズが適切適度な刺激であるということを祈っています。振り返れば、発症後すぐはコンタクトレンズの存在すら感じなかった瞼です。それが、どのメーカーのも感じるようになり、違和感等がひどくなってきたのでした。どうも、薄いレンズから馴染んで来たという感じです。ですから、神経細胞間のつなぎ直しが起こるたびに以前とは接続相手が違うので不調みたいに感じても我慢して適切に対応していたら、そのうちに落ち着いてくれると思っています。四肢での暴れるとかもね。ですから、藪医者には何も言っていないですよ。下手に薬(やく)をもられると金銭的も肉体的にも精神的にも負担になりますからね。
 1月2日(火)、昨日投稿の感覚についてですが、リハビリ病院退院後1年ぐらいだったかな、コンタクトレンズをちょくちょくなくすので予備を作ろうとコンタクトレンズ屋さんに行きました。コンタクトレンズ屋さんに隣接する眼科医は経験不足なのが多いので、通院していた眼科医で調整したコンタクトレンズのデータを示して、これで処方してくださいとね。でもびびっていましたよ。そこのお高いのにされました。でも、暫くはこれも順調だったのですよ。さらに1年ぐらいした当たりからレンズ排除の違和感が続くことにね。そこそこよくなったり、悪化したりを繰り返しながらね。退院後1年半ぐらいの時に角膜移植年40例の病院に行って診察してもらったら「未だ未だ大丈夫、角膜移植の対象にはなっていないですよ。今通院中の眼科で診てもらっていてください」でした。処方箋プリンター近所の藪眼科は円錐角膜の対処法を分かっていなかったです。藪は藪を呼ぶのかな。藪とは別の眼科ですよ。今はお辞めになられた眼科で処方されたコンタクトレンズの方が違和感は少なかったのです。が、どうも、これで、どちらも安心して装着できそうですが、このコンタクトレンズ屋さんの方が分厚いようなので瞼の内側で行方不明になることがないというのは安心して装着できるということか。眼科での視力検査は適当にしています。運転免許は今は持っていないです。家庭内の運転禁止でね。時期等は家計簿的記録で確認しました。もうすぐ、発症6年になります。1年や2年などでガタガタしないことですよ。
 1月3日(水)、一昨日投稿のように「悪化させない」というのは年齢のせいもあります。多くの方が健常といわれている方でも関節の動きなどで衰えが出てくる年代ですからね。これで「奮闘する」と、私みたいな感覚麻痺では、即痙縮だと考えられるのですよ。だから、「奮闘しないで適切適度なリハビリで機能回復」という目標だと投稿したわけですよ。上肢の感覚がもう少し回復してくれるだけでも精度の必要な動作がやりやすくなると思いますし、下肢の感覚回復は立った状態の維持とかがやりやすくなるのではと考えています。「立った状態」というのは下肢の筋肉で伸筋と屈筋を交互に収縮しながらバランスをとっているのですよ。だから、疲れるのです。硬直ぐらいになるように緊張させると収縮だけになると思いますが痙縮一直線ですよね。健常でも普通の立った状態より緊張した方が疲れますよね。微妙な筋力調整は筋肉を収縮させると筋紡錘や腱ゴルジ装置の筋肉の感覚器官からの情報と皮膚の感覚情報が視床を通して大脳に届けられ、そこから、小脳に視床を通して情報が送られて、小脳で解析した情報が視床を通して大脳中枢に送られて、大脳中枢から筋肉への収縮命令が出し直されるのですよ。この命令の結果が各感覚情報として視床を通して大脳中枢に送り返されて・・・と短時間でループしながら筋力調整をしているのです。だから、感覚の回復のためのリハビリはしますが、ほかはボチボチの動作にとどめています。ボチボチですから歩行は一日に14000歩前後ぐらいに抑えています。上肢はラジオ体操的動作が基本でそれほど頑張っていないですよ。下肢より簡単に痙縮になると考えられるのでボチボチね。関節可動域確保動作はしっかりとね。関節可動域があっての四肢の動作ですからね。「適切適度なリハビリに徹する」ということに奮闘しようと思っています。そうそう、視床出血では感覚途絶だけではなく大脳と小脳の連携にも支障を来します。視床出血は支障だらけですね。
 1月4日(木)、甘く見たらだめな感覚麻痺。視床はほぼすべての感覚の大脳への中継をしています。また、大脳と小脳との連携による動作の最適化の連絡中枢でもあるのですよね。視床出血はこの視床に支障が生じることです。動作は大脳運動中枢から筋肉に収縮命令が出されておこなわれるわけですが、どのように制御しているのでしょうね。この制御に感覚情報が必須なのですよ。なにか小さな壊れにくい物を掴んだりしたときに異様に力んでいませんか。私ですと、たとえば、コンタクトレンズケースをもっているときによく感じています。「ばか、そんなに力まなくてよいのだよ」と脳内で命令を出しても力んでしまうのですよ。力むというのは筋緊張亢進状態ですよね。そうすると、筋緊張亢進→痙縮→拘縮という危険性が出てきます。力む要因と運動神経系抑制ニューロンを興奮させることのできない要因は同じですよ。感覚情報の欠如です。だから、目視できている分には掴むとかができても力配分ができないのですよ。目視でどのくらい動作させるかの見当ができても力の配分はわからないですよね。これには腱ゴルジ装置による筋肉の力の情報と筋紡錘による筋肉の伸び具合と皮膚感覚による圧力具合等があって初めて筋力調整が可能になるのですよ。感覚麻痺はこれらの内部感覚も脳に届かなくなっているということを忘れてはならないのです。運動中枢等に障害がなくても動作に支障がでるのは感覚情報が脳に届かないということですよ。抑制ニューロンを活性化できないということは運動神経系興奮ニューロンの興奮を解除できないということですからね。ボトックスはこの運動神経系興奮ニューロンの興奮の筋繊維への伝達のみを阻害しているだけですよ。伝達の阻害のみだよ。興奮ニューロンの神経細胞体は興奮したままだよ。だから、薬効が切れる頃に再注射になるのですよ。
 1月5日(金)、「悪化させない」というのですが、何時を基準にするとよいのでしょうね。脳卒中発症してしまったのですから、「発症直後」や「リハビリ病院退院時」とかですよね。発症前と比べると、脳卒中で悪化していますよね。脳卒中発症前より改善された方ってどのくらいいるのかな。隠れ脳梗塞等ぐらいの脳卒中だけではとね。それでもね、発症直後でも四肢の関節可動域は悪化していないですよね。その後、廃用症候群や痙縮等で悪化してくるのですよね。当然、他動による関節可動域で考えますけどね。脳卒中で動作指示が出せなくなったわけだから、自力での関節可動は無理があると思うのです。でも、他動で可動域のない関節は自力でも無理だと思うのですがどうでしょうか。川平法ではないですが、可動域優先のリハビリをしていたら、筋肉も柔軟状態を維持できました。そうすると、摩訶不思議、自力で動作ができはじめました。私の場合は「あら指が曲げ伸ばしができちゃった」とか、「え、もう健常者風の歩行リハビリをしてくれるの」という感じでした。ですから、リハビリ病院では「今度の土曜にリハビリは・・さんがいい」とかいう感じのリハビリですよ。「感覚の回復なして真の回復はない」ということですから、四肢ではそこそこ動作ができるのでしたら関節可動域の維持と筋肉を柔軟に保つということでしてきています。そう「悪化させない」が基本なのに筋力も回復してきているしね。ただ、感覚の回復状況によっては見かけ上悪化みたいなのもありますが。膝折れなし、反張膝にならない、階段を健常者風に楽に焼香できるのに膝がふらふらします。中途半端な力でというか、普通に立ったままでいるとね。これは、脳が正常時と同様のバランス取りを試みているためですよ。伸筋と屈筋を交互に収縮と弛緩をさせながらのバランス調節ね。「腕が暴れる」というのも脳が腕のバランスを伸筋と屈筋の交互に収縮と弛緩をして試みているからですよ。脳がそこまで回復してきているということかな。で、これって悪化?、それとも、回復の過程?。
 1月6日(土)、「脳卒中は治るのか」ということについて。基本的には寿命との関係です。ほかの病気より長期にわたる回復過程が必要だからです。ほかの病気どもそうですが、重い場合は死ぬということがありますよね。ですから、生き延びた場合にということね。高等動物になるほど、高齢になるほど細胞の再生力は低下します。若いほど有利ね。また、一度死んだ細胞は生き返りません。肝臓では肝細胞が細胞分裂することで元ぐらいまでなりますが、肝硬変等では細胞分裂は起こりません。骨格筋等の筋繊維(筋肉細胞)は死んだらおしまいです。脳の神経細胞も基本的には生き返らないです。神経幹細胞もありますが期待薄のようです。でも、樹状突起の延伸や末梢神経系では軸索の延伸とかがあります。つなぎ直しね。この「延伸」にどのぐらい時間が必要かということですよ。それと、肩代わりしてくれる神経細胞がどのくらいあるのかともかな。だから、長時間必要なのが脳の可塑性による回復です。死ぬ方が先なんていうことが多いかもね。これって「直らない」の一種かな。四肢等では脳での修復ができる前に拘縮等になってどうしようもなくしてしまったなんてのもね。私は「絶対直してみせる」ですが、いつ頃になるかは神様に聞いてください。で、死ぬ方が先になってしまいそうですが。永遠の命があれば完全回復させることができると思ってリハビリに励んでいます。関節可動域をなくしたら回復は無理だものね。筋肉をコチコチにしても回復は無理ですよね。
 1月7日(日)、未だ未だ感覚の回復は不完全です。一昨日、食器を拭いていたら布巾に血がついていたのでした。で、順に食器を調べるとガラス食器の一つに欠けている部分を見つけました。で、そこで麻痺手親指を傷つけたようですが、痛み等は全く感じていないです。健常側ですと痛み等を感じていてよい傷なのにね。異様に強く感じる部分と全く感じ部分とが共存しているのですね。私にとってこの切り傷は鈍感な方に入ると思っています。ですから、痛みの種類や部位によっては感じていないことでむちゃくちゃをしているかもしないなと思いました。感覚の回復は単純に戻るのではなく、どこかの神経細胞間でつなぎ替えができて、何らかの情報が送られるようになるというのが起こるわけですが。何時、どの部位とかは先着順みたいで起こってみないと判らない世界かな。そして、感度等も接続が起こってみてから調整ですから、異様に高感度になるところもあるわけですよね。そして、その後に調整で徐々に元のレベルに戻るということかな。感じないから助かる場合と感じていないからより深刻になってしまう場合とかがありますよね。今回は後者でしたよ。今回の出血でも、そう粘り気を感じなかったのでした。普通、出血当座はサラサラみたいで徐々に凝固が始まるのですよね。ところが、怖い。

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