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2018年1月14日 (日)

「なんとなくで決めたとおり」だけにさせてよいのか

 あの太平洋戦争もなんとなく開戦決定だったのではと思うのです。豊洲市場の汚染土壌対策の骨抜きもなんとなく会議を積み重ねるうちに決められたのでは。そうすると、そのまま押し通されたということですよね。福島の原発はなんとなく決断できなくて大事故かな。
 日本の無責任体制そのものではとね。だから、慰安婦問題も押し通すほかなかったと思うのですよ。韓国側も韓国側ですが。南京もあれよあれよということで事態が起こってしまったいうべきかもね。そこに日本の無責任体制維持には「なかった」で済ませるしかないのかな。
 森友でも加計でも主犯が出てこないですよね。なんとなく周りがしてしまったという面があるかもね。ということで、責任の所在があやふやにされているのですよ。でも、変更とかするにはこの「なんとなく」を打ち破る必要があるので、その苦労をするより楽なそのままというのかな。冤罪でもね。
 責任体制ができていないということは変更の時にどうしてよいのか判らないということですよ。時間をかけて「なんとなく」を仕立てるしかないのかな。
 そして、すぐに「伝統」とかいうけど、高々数十年程度でもね。女性天皇は古代にはいましたが。でも、何時の頃から「男」だけにね。
 再生可能エネルギーや脱炭素エネルギーで太陽光と水素に拘っている間に海外では・・。自動車では電気自動車かな。エネルギー供給の問題ですよ。発電効率だけに拘って脱炭素に逆行する石炭火力を創っている日本。
 身内の論理だけでなんとなく決めたことを適切に変更できない日本かな。先の大戦時と同様ですよ。日本が政治の無責任でつぶれる日が遠からず来るのではと危惧しています。
 来週の投稿はお休みするかもしれないです。

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