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2017年9月23日 (土)

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No265

「依存症」で思うこと。   「歩幅の測定方法」。日々の散歩等で気が向いたら測定しています。が、最近はしていないです。   便利な機器を持っていない私。スマホを持っていません。ガラケーで頑張っています。   ある方が「以前より健常者風歩行でのよい姿勢ができるようになった」と投稿されていました。というのはより回復したということですよね。この場合、自然と杖は必要なくなっていくと思うのは私だけでしょうか。   脳卒中で筋力ゼロとかになる理由。簡単にいうと「脳が梗塞や出血で損傷して筋肉に対して収縮命令を出せなくなるから」ですよ。   平衡感覚で思うこと。視床出血ですから、感覚系がダメージを受けました。その中に平衡感覚も含まれていました。   リハビリで感じた無責任言葉。根拠のない痙縮等を招く言葉ね。「頑張りなさい。」ね。

 9月11日(月)、「依存症」で思うこと。「ハリポタ依存症」、ここ5日ほどPCを使っているときにハリポタ以外でBGMや他のDVDにしていたら、無性にハリポタを聞きたくなっていました。「観る」ではなく「聞く」ね。これって一種の依存症かなと思うのですけどね。また、小池知事の関東大震災慰霊祭関連のニュースをネットで見て、司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」をやたらと聞きたくなったりね。震災死と内務省の憶測デマによる犠牲とは別問題なのにね。また、このデマに乗じてか、大杉栄の惨殺した人物が満州で事件を起こし、東京が黙認し続けたことで満州事変が起こされ、国際連盟脱退になっていくのですよ。このあたりは「雑談 昭和への道」で読んでね。そのほかに「蟻の兵隊」も今を考えるのに有効と思います。今の政府や官僚の体質とかをね。ところで「依存症」に関して、過去に投稿したことがありますね。依存症的な事象によって、その依存、のめり込みの深さがある程度判るのではと思います。また、「思い込み」もね。自分がしていることについての「自省」がどの程度できるのかが大切だと思うのですが、私自身はどの程度できるのかな。ところで、リハビリで「スパルタ」は大抵無意味どころか弊害だらけと思うのですが、何らかのタイプの依存症かもね。あるいは「思い込み」かな。健常者もリハビリで失敗していますよね。プロ選手でのリハビリ失敗はよく聞きますね。これも「依存症的考え方」が根底にあるのではとね。必要十分の練習ではなく、自己満足的必要量まで頑張るからでしょうか。単に自己満足ね。私のブログが嫌われる理由かもね。リハビリは体が回復するのを助けるためであって、体を鍛えるためではないのにね。例えば、靱帯損傷とかでも靱帯が繋がったというのと損傷前程度まで回復したというのとでは意味が違うのですが、「繋がった」で「回復した」と思い込むようですね。で、無理をして、再び切断させたりとかね。脳卒中では四肢で「動かせる」を「回復した」と思い違いして痙縮とかにしてしまってしまう場合が多いようですね。脳卒中での回復は「脳での神経細胞間のつなぎ替えが損傷部位ほぼすべてで起こり、その調整が終了した」が確認できての回復なのにね。
 9月12日(火)、「歩幅の測定方法」。日々の散歩等で気が向いたら測定しています。が、最近はしていないです。20mでの歩数から算出しています。ある程度の距離を歩いて算出した方が誤差が小さくなりますよね。長距離になると、疲れての歩幅ね。ですから、一日では平均するとこれより短いと思っています。20mを26歩や27歩です。で、短い方の74cmを先週とか以前に投稿しているのです。リハビリ病院で当初に測定した10m38秒の時の歩幅はどのくらいだったのでしょうね。退院直前の6分で420mの時の歩幅はどのくらいだったのでしょうね。で、20mはどのようにしているのかというと「横断歩道予告の菱形」活用ですよ。遠い方が歩道から50m、近い方が30mですのでね。差が20mになりますね。住居地の住宅地内の生活道路にある場合は堂々とこの上を歩いての測定ね。バス道等は歩道上からは同じような位置関係になるようにね。両方とも横断歩道から遠い方の菱形の頂点で測定するとかね。この間隔は車間距離を確かめるのに利用できますよ。よく車間距離20mとかいわれていますよね。横断歩道のこの印にさしかかったときに先行車がどのあたりかで概算できますね。自動車の運転をしていたときに活用していました。この時の歩数は「自分で数える」だよ。このぐらいの数値は数えることができます。こんなの誤魔化しても意味がないしね。このぐらいのカウントもできない高次脳機能障害にはなっていないみたいです。「便利な機器」を使っていないことについては明日投稿する予定です。
 9月13日(水)、便利な機器を持っていない私。スマホを持っていません。ガラケーで頑張っています。このガラケーの通信費は月に800円前後です。緊急用に持っているだけね。障がい者というので基本料0円(会社がばれる)、パケ放題0円からですから、使わなかったら・・ね。ある方がスマホの便利アプリを紹介されていました。便利でしょうね。でも、スマホにする気がない。PCでデュアルブートとかやLinuxインストールするのですから、スマホを使えると思いますが、使う気がない。クオーツの腕時計にお金を出す気がないのと同様の発想かな。腕時計は「機械式」に限ります(思い込みかな)が、諸般の事情で100均の腕時計にしています。金銭的よりは別の理由ね。本人は腕を振って歩いているつもりなのに自動巻が作動していない。最新機器は便利ですが、人間はバーチャルだけではなく「実体験」というのも大切ですよね。また、人間生活で電波時計は普通必要ないとも思います。特に仕事をしていない時はね。5分前集合や30分前集合(ランチによるリハビリ時など)でしていたら、遅れることはアナログ機械式時計でもないですよね。1分1秒でカリカリして血圧を上昇させる必要なないと思うのですが、日の出や日没はわんことの散歩の都合で非常に気にしています。人間生活では特に事情がないのでしたら、「起床時刻一定で、睡眠時間は短め」がよいように思います。起床時刻は100均の目覚まし時計で十分ですよ。結構正確ですよ。人間みたいな昼行型動物は朝の起床時刻を、できるだけ日の出前後で一定というのがよいようです。ただし、これは病気になりにくいということだけです。確実な病気予防法は狂犬病の予防接種ぐらいしかないのが現状です。ですから、わんこの狂犬病予防接種は必ずしましょうね。アジアやアフリカ以外で西ヨーロッパも狂犬病汚染地区というのです。理由は野生動物が狂犬病ウイルスを持っているのがいるということです。ですから、海外旅行では狂犬病予防接種は必須かもね。狂犬病は予防接種でのみ防ぐことができるのです。治療法はないということです。発病は死を意味するということです。人間も犬もね。
 9月14日(木)、ある方が「以前より健常者風歩行でのよい姿勢ができるようになった」と投稿されていました。というのはより回復したということですよね。この場合、自然と杖は必要なくなっていくと思うのは私だけでしょうか。杖なしでも大丈夫かどうかは健常者風歩行でしたら、杖を持っていてもつかないように心がけて歩いてみたらと思いますが。相当長期にわたってね。どのくらい杖をついているかを確認してね。でもね、雨の日などに杖をさしながら歩いている私ですが、未だに杖を持ち歩いています。もしも健常者風とかいいながら、杖をしっかりついて歩いているというのは杖を頼っているので杖は必要でしょうね。過去にある方が「杖をできるだけ遠くにつく」とか投稿されていましたが、「? 姿勢は」と思いました。姿勢が崩れていたら「正しい歩行」にはならないから杖が必要なのですよ。我々は一応四肢が見かけ上ありますね。これを利用しての歩行では「健常者風の正しい歩行姿勢・動作」が一番無駄がなく楽なのですよ。人類が誕生以来長期にわたって会得した歩行技術ですからね。ほかに楽な歩行法があれば、そちらになっているはずですが、俗にいう「四肢があるのなら健常者風」が続いているのが現実ですね。ロボットまで二足歩行で真似をしていますね。人間型で一番無駄がないということですよ。本当に正しい歩行ができるのでしたら杖は近いうちに持って歩くになると思います。つくのではなくね。
 9月15日(金)、脳卒中で筋力ゼロとかになる理由。簡単にいうと「脳が梗塞や出血で損傷して筋肉に対して収縮命令を出せなくなるから」ですよ。でも、脊髄反射等で筋収縮を起こしたりする場合がありますが、系統的な筋収縮は脳からの命令によります。この脳からの筋収縮命令が出なくなるからです。筋力の定義「筋力=脳の命令力×筋肉の質×筋肉の量×筋肉の縮むことのできる長さ」と考えることができますね。かけ算ですよ。あくまでも「かけ算」だよ。よって、どれかが「ゼロ」になると答えはゼロです。筋力なしにね。脳卒中では「脳の命令力」がゼロとかにね。痙縮になっていくと「筋肉の縮むことのできる距離」が際限なくゼロに近づきますよね。よって、ほぼゼロにね。だから、痙縮はよくないのですよ。当然、拘縮もよくないです。動かしていないと筋肉の質も低下します。固着とかかな。前の日曜投稿のように握力も脳の命令力が発揮できるかどうかでした。命令を出すためにはそれなりに脳が回復してきたと思えるようにすることですよ。私のは「楽な外力による関節可動域確保動作」ができるということで脳が徐々に回復したのだと思いますが、未だ未だ不完全な回復ですけどね。繰り返しの筋トレができないのですから。今、筋トレすると痙縮一直線かな。感覚神経の回復が不十分ですのでね。その割に歩くのはよく歩いています。足って鈍感なのかな。ボトックスをすると、痙縮の筋肉が緩んで「縮んで収縮に必要な長さ」を確保できるようになるようですが、「脳の命令を筋肉に伝えられなくなる」ということですね。筋力回復には神経筋接合部で命令を伝える(ボトックスはここを遮断します。)ということも必要ですが、筋肉が弛緩して緩むことができるというのも必要ですよね。ボトックス療法でお悩みの方はどちらを取りますかという感じですよね。痙縮等にならないようにするのが一番みたいですね。
 9月16日(土)、平衡感覚で思うこと。視床出血ですから、感覚系がダメージを受けました。その中に平衡感覚も含まれていました。その最初の洗礼が救急車での搬送中の嘔吐だったと思います。関係したのが内耳にある前庭の中の耳石器と考えています。これは重力の向きや直線運動みたいな時の加速度を感知しています。内耳は左右に一つずつあるので視床出血で片方が途絶してしまったのですね。脳が左右のアンバランスにまごついての嘔吐と思います。病院でのストレッチャーでの移動時も嘔吐しましたよ。この当日の夜のベッドから頭を下にしたぶら下がりも平衡感覚と筋力が無茶苦茶になっていたためでしょうね。耳石器のアンバランスはリハビリ病院でも続いていました。「ふらつく」ということの原因の一つにね。寝転んだ後、起立するとかの時にね。基本的には日中は車椅子生活で頭を起こしていたので、普通は特に何ともなかったですが。チョビチョビ回復するとアンバランス状態が違ってくるので調整されるまではふらつくとかね。もう一つの体の回転を感じる感覚器の半規管は回転運動をしていないので、あんまり感じなかったですが、発症後5年にして「首振り」をしてしまい、嘔吐ね。首振りは回転運動の一種なのですよ。半規管も耳石器もどの方向にも対応できるようになっています。ブログ等をされておられるのでしたら、ネット検索でまともなサイトで平衡器官について調べることをお勧めします。まともなサイトでね。
 9月17日(日)、リハビリで感じた無責任言葉。根拠のない痙縮等を招く言葉ね。「頑張りなさい。」ね。他の分野でもはびこっていますよね、「頑張れ」とかね。私は今回のことでも「頑張れ」とかは無視しました。正解だったです。デメリットも含めて具体的に説明してくれたというのはなかったですね。私の投稿している「楽な外力による関節可動域確保動作」はデメリットはほぼないと思いますが、どこにも早期に回復するとはいっていないです。私は早かったですが。一昨日投稿の中のボトックスの話の中で「痙縮」はリハビリにとって弊害になりますよね。これを防ぎましょうということだけですからね。廃用症候群もついでに防ごうよね。以前、通院していた内科では、自分の指の傷と指が曲げられなくなったや他の脳卒中患者とかで「頑張りなさい。」といいましたが、無視ね。指の方は傷口が治っていったときの皮膚を考慮していなかった治療が問題なのにね。外傷では治っていったときの皮膚が以前と同様の可動域が保てるかということが大切なのにご存じないようでした。脳卒中では四肢では「楽な外力による関節可動域確保動作」は基本中の基本だけです。が、そのような話もなしね。今の主治医も同類です。痙縮への道についてのことのヒントはボトックス療法の作用機構です。これで、「頑張れ」というだけではボトックス療法の対象になるということを考えるに至ったわけです。四肢で「頑張る」というのは運動神経系興奮ニューロンをより興奮させるようなものですよね。この興奮を如何に解除できるかがリハビリの成功への道ですよ。一つが過興奮させないね。さらには運動神経系抑制ニューロンを活性化させることができるかです。ところが、我々感覚麻痺では運動神経系抑制ニューロンを活性化させることができないのです。ボトックスは興奮ニューロンの怒りを穏やかにしているのではなく、神経筋接合部での情報伝達を妨害しているだけです。ですから、ボツリヌス菌毒素の効果が切れる度に注射する必要があるのですよ。健常者風の頑張りを続けた方に多いみたいですね。「頑張れ」とかをいう前に病態をよく理解してより良く回復するために必要な具体例つきの「頑張れ」が必要なのにね。医師で、この程度ですから、普通の人は多くの場合不適切頑張りを患者に期待すると思います。セラピストさんに一番まともな方が多いと思います。中には藪もいるようですが。

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