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2017年3月 5日 (日)

司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」から思うこと

 司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」はまだ、年号が昭和の時にNHK教育放送で放送されたのを見たのが最初です。その後、朝日新聞社の司馬遼太郎講演集でしたか、これで読みました。
 そしと私自身が他の文献で日露戦争あたりや昭和初期のことを調べてみた結果、「誤魔化しの歴史」、御上の発表は誤魔化しだらけというふうに考えられるという結論に達したのです。
 本当に下級将校や兵隊さんたちには懸命に命がけで戦ったわけですが、上層部が戦略も戦術もなしに戦火を広げていったのが「昭和への道」だとね。上層部はドイツヒトラーと違って「エリート」だったはずです。それが、沖縄戦でも守るべきはずの沖縄県民を見殺しや自決を強要したのでしたよね。
 そして、昭和天皇には死を覚悟させるという不敬罪に相当することをしているのに反省がないのですよ。「最後の一泡」とかいって、ぽちダム宣言受諾を遅らせたのですよね。憲法違反に当たる陛下の御政断で漸くの敗戦です。この遅れで北方領土にソ連が進出する時間的余裕を与えてしまったのですよ。
 日本軍が戦火を広げていった地域のみ恨み辛みを残してきているのですよね。反日の凄いところは日本軍の行軍した地域ですよね。これらは、上層部がジュネーブ条約等について兵隊たちに教育していなかったからです。
 日露戦争時とは雲泥の違いですよね。トルコは親日ですよ。司馬遼太郎氏曰く「朝鮮や中国で1000年経っても忘れることのできないことを日本がしてきた」ということですが、原因は上層部にあるのですよ。このことの真摯な反省が日本には必要と考えられます。
 「国体護持」と「一億玉砕」とは並立できないのに両方同時に唱えた軍部。実際、陛下の裁断がなければ「一億玉砕」に向かっていた軍部ね。
 先週はポイントサイトでのミニゲームに填まっての時間不足でした。済みません。
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