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2016年12月25日 (日)

無責任体制が温存されてきたのか

 太平洋戦争に至る過程での、そして、敗戦に至る過程に検証されたのか。司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」から感じ取れるのが上層部の無責任ですよ。この体質は今も続いているのですよ。
 将兵には責任を求めながら、上層部は温々していましたよね。日露戦争の時から顕在化していたのではとね。満州事変に至る道も上訴部は放置というか積極的黙認ですよ。で、責任をたまたま開戦時の内閣等にいた人物に押しつけて逃げ延びたのがいるのではとね。
 最近は企業経営者に対して文句をいう、いい意味で株主権利を行使するのが出てきて、すこしマシになったようですね。
 東京都の事例でも、公認外の小池氏が当選したから無責任体勢に少しミスが入ったようですね。中央官庁の行政での責任については、「失敗歴がない」というのが出世するみたいですよね。だから、悪あがきがよく見られますね。或いは被害者が死ぬのを待っているような態度ね。行政機構や検察等では「以後、同じような過ちを繰り返さない」というのが責任を取ったということになると思うのですけどね。
 同じような失敗を大規模に繰り返すというのは「無責任体制」であるという証拠と考えています。
 無責任ですから、例えば、交通事故のよく起こる地点、道路に問題があっても気がつかないのですよ。運転手の不注意とかにすり替えられてしまってね。そして、教訓が後任に伝えられないのですね。
 人間というのは「失敗」するものなのですよ。この「失敗」を如何に活用したか、或いは無視したかで、後者は「無責任」そのものね。
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