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2016年10月16日 (日)

憲法改定の前にすること

 憲法論議を十分にすることは必要ですが、その前に「どうして大日本帝国憲法を改定せざるおえない状況に日本がなったのか」ということですよ。
 司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」はこのことを考える上で重要なことを示唆してくれていると考えています。東京都の豊洲市場の問題にも通じている考えられるのです。
 先の大戦への「歴史を鏡とする」ということをしてこなかったツケの一つですよ。
 そして、「憲法解釈」先行型もかな。統帥権を一人歩きさせて文民統制から逸脱していった軍部。議論ばかりで決断ができない状況。部下の暴走を放置した当時の軍部。技術会議等での暴走を放置した都幹部。どの程度までかな。副知事?局長クラス?・・。
 その場しのぎの言い分け。国民への隠し事の多かった先の大戦。勇ましいことばかりの宣伝文句。失敗を認めない上層部。今の官僚機構にもみられますよね。
 検証して、その教訓を現代に生かす取り組みを続けるということなしにの憲法改定では、また、大日本帝国憲法改定時と同じような自体になって仕舞うのではと危惧されるのです。
 歴史を無視する者は未来も無視することになるのですよ。
 過去にしたことをなかったことにする者は未来もなかったことにかな。
 より良い未来のために必要なことがされないままになっていると感じています。
 天皇制を潰さないためにもね。
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