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2016年10月30日 (日)

三笠宮崇仁さまご逝去の報道より

 三笠宮崇仁さまご逝去されました。
 10月27日時事通信配信によりますと、『意気盛んな青年将校だった三笠宮さまに、戦争に対する決定的な疑問を抱かせたのは、支那派遣軍総司令部参謀として赴いた戦地の中国・南京で見聞きした日本軍の残虐行為だった。44年1月、三笠宮さまが陸軍を批判した文書は50年後の94年7月に見つかった。自身の「お印(しるし)」にちなんだ秘匿名「若杉参謀」の名で書かれ、「支那事変に対する日本人としての内省」と題し、「現在日本人、特に軍人に欠如しているものは『内省』と『謙譲』」と述べ、軍部に猛省を迫った。』という記述がありました。
 健全な考え方の持ち主であったと推察できます。これに対して、当時の軍の大多数が「聖戦」といいながら、無茶苦茶をやっていたと批判されているのですよね。「聖戦」ということは「天皇の名の下で」と軍部が勝手に言っておこなったということです。で、天皇陛下に「汚名」を着せてしまったのです。
 「内省」というのは司馬遼太郎氏のいうところの「自己解剖」ですよね。当時の軍部のみならず、現代の政権もおこなう必要のあることであると考えられるのです。
 ですから、身内意識のなかで今もいろいろと問題が出てきていますよね。東京オリンピックの経費の問題、豊洲市場の問題、政府活動費の問題等々身内での狭い範囲の村意識の範囲内でのしがらみで起こってきたことですよね。その中でも昭和初期の軍部でおこなわれたことは日本を敗戦に導き、大日本帝国憲法を改定させるところまでいってしまったのですよ。
 三笠宮崇仁さまが1944年1月にされた陸軍批判に基づいて、軍部が反省していたら、日本は今でも大日本帝国憲法であった可能性があると考えられるのです。
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