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2015年9月27日 (日)

新国立競技場問題に見る日本の決定機構

 「何時、どのようなときに、誰が決断をするのか」ということの欠如かな。
 先の大戦でも「交渉決裂時は開戦」を決めていたようですけど、交渉の全県代表にどの程度の権限があったのかな。敗戦の決断は結局できなかったので天皇陛下の御政断まで揉め続けましたよね。それでも、諦めの悪いのがいろいろ画策したりしましたよね。
 TPP交渉でアメリカは大統領に委任状を渡しましましたが、甘利大臣はどの程度の権限を持っているのかな。
 いつもなら業者もボチボチのはずが、ふっかけてきたのかな。それに対して判断基準が曖昧だものでどこも決断しなかった。決断といっても計画としてでと思うのですけどね。「オリンピックだから」という甘さもあったのかも。
 問題が生じた場合の決断に至る経緯の検証が不十分であったのでは。そして、衆偶政治のツケが出てきたのかな。
 大臣が派閥力学等で任命されたりしているのと同様かな。
 先の大戦でもあのとき、たまたま東条英機になってしまったという話があるのです。誰が総理大臣になっても同じだったのではとね。原発事故もこの延長線上ですかな。無責任体制ね。
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