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2015年2月22日 (日)

報道のあるべき姿

 時の政権に批判的であるべきである。時の政権のお先棒を担いだ1945年8月15日までの報道は事実から国民の目をそらせるものであった。一党独裁みたいな国で報道に対する検閲が厳しいのは政権批判を防ぎ、不満をそらせるためですよね。
 ところが、日本は割と簡単に「政権批判となり得る報道」を圧殺してきた歴史がありますよね。その結果のひとつに「敗戦」がありますが、認めようとしていないですよね。「終戦」という言葉がその象徴だとも思います。
 今のNHK会長の下では司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」なんて放送出来ないかも。当時の軍部等にとって都合の悪いことばかりだものね。この都合の悪いことに対して正面から向き合って検証するという姿勢など全く感じることができないです。
 ワイツゼッカードイツ元大統領の1985年の演説「荒れ野の40年」の一説、「過去に対して目をそらす者は現代および未来も見えなくなる」という意味がわからないのでしょうね。
 日本を敗戦に導いたのと同様の誤りをしないためには時の政権に批判的であり、時の政権にとって都合の悪いことでも報道していくのが公共放送などの責務であると考え余す。

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