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2015年1月11日 (日)

報道の自由について、表現の自由について

 フランスでイスラム過激派と見られるテロリストで風刺画を掲載している新聞社が襲撃されました。根底にあるのはノーベル平和賞を受賞したマララさんを襲撃した一派と共通するものね。
 「他の考え方を容認出来ない」ということかな。「容認」ということを認める範囲が極端に狭いという言うことでしょうね。
 ところで、ある意味、日本もよく似た状況になっていきつつある感じがしています。自動小銃をもって乱射とかではなく、一見世論を装った他の意見封事ね。あるいは「事実隠蔽」によることに対する報道とかの「ほじくり返し封じ」ね
 先の大戦での戦地で日本軍が何をしてきたのかということについての検証ができていないですよ。当然、当時の政権中枢の責任追及もできていないですよ。
 それをしようとすると、日本独自の圧力があったの感じるのです。「村型社会の無責任不追及の原則」とでいえることね。どれだけ、先の大戦やそれ以前からのことについての検証がされていないこと、夥しいですよ。
 新聞社が新聞上でこれらのことをしようとすると、どこからともなくわき起こる圧力ね。反証はなく、例えば、「証拠がない」とかでの圧力ね。
 その昔、冷酷陸軍でソ連駐在武官がその時のソ連の軍事力について冷静に分析した報告しただけで「恐ソ派」といわれ、情報は黙殺され、出生はなくなったとか。だれも、正確な報告をしなくなったというのです。それで、ノモンハン事件ですよね。この事件の教訓は生かされなかったです。
 当時と同じような感じになっていききつつあるように感じています。またもやの自滅路線ね。あの原発事故の原因究明もこの日本特有の報道管制が掛かっているという感じを受けています。「うやむやにする」ということね。

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