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2014年10月 6日 (月)

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No112

この「動いた」という経験が大切   発症してしまった脳卒中での医師の役割について   麻痺と装具と車いすの関係   今でも怖~いことの一つ   発症当初にPTで出来るようになって、現在は怖くてできないこと   発症当初と同じようにできること   「自分より劣っている」とか思える人がいることで心の安定を求める傾向が

 9月29日(月)、あるブログ(夫が脳出血・・・)のある投稿の中に『・・・・・(りゅうえい)治療院の・・(高橋)先生によると、この「動いた」という経験が大切なのだそうです。病気で身体が動かなくなったことを脳が認識してしまうことで「動かすことはできない」と潜在意識に深く刷り込まれてしまいますます動けなくなってしまう。その思い込みを解除するために鍼で・(右)脳に働きかけます。』というのがありましたと引用させてもらいます。脳卒中とは遠隔操縦の中枢のみに不都合がある病気です。発症部位で末端からの情報途絶(脳幹系など)や感覚担当脳細胞(大脳など)のダメージ(感覚麻痺ね)とか指令系の途絶(大脳系または脳幹系の運動神経系の麻痺)とかこの二つの間の部分(連合野なども含むかな)の損傷とかです。末端の筋肉・関節とかには異常がないのです。この状態の時に筋肉とかもダメになったと思い込んで、感覚麻痺だけでも運動神経もダメになった勝手に思い込んで使わなくなってしまうから、「廃用症候群」となって本当に動かなくなるのです。この鍼治療では損傷を受けていない部分を呼び起こしているのだと考えられます。前に紹介した「おじいさん先生」の言葉と同じようなことだと思いました。私の視床出血は感覚麻痺でしたから、麻痺の原因がわかった段階で「動かせるようになる」と確信しました。もっとも脳出血を感じた段階で「リハビリで復活するぞ」とも思っていましたが。動かせるようになるまでは「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」でいこうとね。リモコンが壊れただけだから、リモコンを取り替えれば動きますよ。ただ、工業製品みたいには簡単に交換ができないので代用でも時間が掛かります。実際、救急病院で「とりあえず動かせる」になっていきました。その間のつなぎのリハビリで失敗する人も多いようです。つなぎのリハビリが非常に大切ですから、セラピストさんに診てもらいながらね。くどいですが、私は視床出血で、病院搬送到着時意識不明、左半身完全麻痺でした。お告げは「一生車いす」ね。今はスタスタと日に10000歩以上歩いています。「・・のコツ」さんには悪いですが、そのブログでの「・・・のコツ」とかは順調でしたのでリハビリ病院で教えてもらいました。小走りも教えてもらいました。
 9月30日(火)、発症してしまった脳卒中での医師の役割についてね。脳神経外科医が直接担うのは急性期が中心だと思います。視床出血ですと、普通は出血した間脳にメスを入れるなどしないですよ。出血が多くて脳圧亢進でようやく血抜きね。くも膜下出血ですと、血抜きをよくするみたいですが。脳梗塞でも例の薬が使えたら使う程度が多いのでは。悪化しないかとか、脳卒中でより悪化したときや副次的症状が出たときの対応とかだと思います。他の循環器科などの内科系にしても血圧管理とかぐらいしかできないのではと思います。医師でもセラピストでも脳の回復はできないのです。この脳での可塑性による回復は患者本人がするほかないのです。川平法とかがありますが、これも基本は患者自身ね。リハビリの基本は患者だよ。薬はボトックス程度だけだよ。医師は励ますとか相談に乗れても手出しはできないのが今のリハビリね。セラピストさんもマッサージと指導助言と動作指導とかしかできないですよね。患者がどのような気持ちで取り組むのかいうことだけに掛かっていると思います。
 10月1日(水)、麻痺と装具と車いすの関係ね。なぜか、歩行器は無視です。無視の理由は救急病院で一度だけ使わせてもらたことがあるだけです。転院直前でしたが、どうしても焦りが出るようなのです。今から思うと「棒足、引きずり、ぶん回し」だったような感じを受けました。転院後は、なぜか、車いすでの両足チョコチョコ歩行で大人しく暴走していました。歩行器を羨ましいとは思わずです。車いすですと、荷物の運搬も楽でしたよ。待ち人の時もエレベーターホールで長時間待っても座っていますからね。本題ね、私の場合は視床出血での感覚麻痺でしたから、筋肉・関節・運動神経等異常なしね。で、ともかく、動かせるようになるのです。でも、感覚なしですから、危険も伴います。足が見えないところにあるので「巻き込み事故等」ね。事故なしにするには「慎重に」ですよ。根気よくね。姿勢や座り方がよければ、麻痺足の鍛錬にはもってこいでした。足首は直角程度で曲げたり、伸ばしたり、ね。装具の目的は直角程度に足先を持ち上げるというのがありますよね。適切な高さの車いすで適切な座り方で足漕ぎすると膝と足首は直角ぐらいで動かすことになります。床けりの直前ぐらいの時に足先は結構な向きですよね。蹴って前に伸ばす。また、十分に曲げてでないと前に出せないですよ。前方で踵着地して後方で床を蹴るの繰り返しね。ですから、視床出血左半身完全麻痺でしたが、購入した装具は一番簡単なものでした。退院後は使っていません。目的は健常者風歩行の時に足先を床で躓かないようにですよね。車いすのおかげで装具は早々に卒業出来ました。暴走するときは回転数は高くなりますよ。歩行リハビリでの高速歩行にも対応出来ました。退院時には6分で420m(時速4.2km)ね。花子のウンチ直前高速歩行は時速ですと7~8kmにはなっているときもあると考えられます。走り出しそうなぐらいですからね。車いす様々です。このような車いすの利点を生かしていない方が多いようですね。セラピストさんも車いすでの麻痺側も使ったリハビリを症状をみながら助言されているはずだよ。「両足で車いすを漕ぎましょう」とね。
 10月2日(木)、今でも怖~いことの一つに支え(杖でも可)とかなしに立っている状態の時に目を閉じることね。どうしてかというと、視床出血ですから、内耳にある平衡感覚器の麻痺です。出血後、3ヶ月ほどしたリハビリで車いすではなく杖歩行でリハビリにいこうとセラピストさんが言われたので、「マッサージで寝転がるとふらつくので」と起きたままマッサージしてもらいました。発症時の救急車や直後の病院内での移動で激しい嘔吐に襲われたのは、内耳の平衡感覚器の左右アンバランスによってであったと思うようになったのです。その後、しばらくの間だけ健常側の平衡感覚器情報だけでの安定をつかんでいたようですが、麻痺側が徐々に復活してくると、その度に「ふらふら」と危ないですよ。普通に歩くときとかは、ふらつきながらバランスをとるという器用なことをね。でもね、起き抜けとかは危険です。伝い歩きをしたりしています。ですから、視覚で平衡感覚を補っているので立ったりしているときに内耳の平衡感覚器だけになる瞼を閉じるというのは非常に危険ね。コンタクトレンズなので、ゴミとかで瞼を開けることができないときも非常に危険ね。これは何時起きるのか予測出来ないからね。俯きをして顔を起こしたときも同様の傾向ね。もっと酷いかも。
 10月3日(金)、発症当初に歩行リハビリ(PT)で出来るようになって、現在は怖くてできないことに「棒足ぶん回し足出し歩行」があります。最近、ふと挑戦してみようとして「怖~い」で止めてしまいました。リハビリ病院で、健常者風への指導してくれていた意味を理解して練習したために「ぶん回し」ができなくなってしまったわけです。今思うに「ぶん回し」も「健常者風」もどちらもそれなりに努力してある程度の距離を歩けるようになるのです。その後は「健常者風」の方が圧倒的に有利です。発症からぼちぼちの日数まではどうでもよいから、歩けるかの確認みたいなリハビリですよね。その後、股関節・膝関節・足首関節等の状態を考慮して「健常者風」への指導です。その時に感じたのは、伸筋優位とか脳でのダメージ等があるので「健常者風」の練習が辛いのですね。でも、ここでくじけると新規の歩行についての手続き記憶が「ぶん回し」になってしまうと後々修正が難しいようです。私は健常者風の方が後々楽で速く歩行出来ると確信していましたので健常者風を目指しました。「健常者風」は長年の人類の進化の中で習得した楽な運動パターンですから、楽ですよ。お箸の使い方でも「正しい箸使い」の方が楽に美味しく食事ができますよね。悪いお箸の持ち方になってしまうと修正に苦労されていますよね。「ぶん回し」も同じことではとね。ですから、発症当初から健常者風を目指しましょう。
 10月4日(土)、発症当初と同じようにできることに「腕をだらりとブラブラできる」というのがあります。当時と同様に力を込めることなくね。発症当時、指も伸び伸びしていたはずだよ。そう、典型的な麻痺した腕だったものね。その後、多くの方が屈筋優位で屈曲させてしまっているようですね。四つん這いもできます。腕を伸ばして荷重をいくらかのせても耐えることができるということです。手の甲と手のひらの裏表変換も簡単にできます。当然、腕の伸縮もね。ラジオ体操的動作もぐるぐる回しもね。物を掴むために手を健常者みたいに物体にあわせるということができます。指の伸縮も意図してできるしね。リハビリ病院でいっていたことは「適切に動作ができるようにしておいてたら、感覚神経が戻れば作業なんて簡単にできますよ」みたいなことをね。感覚神経は何時使い物になる程度戻るのかな。でも、動かせれば「代用感覚」も使ってそこそこ作業はできます。屈曲してしまうと無理かな。握々お手々ですと、何もできない感じね。ジャンケンでは負け決定的だしね。爪切りも大変なようですね。まずは「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」ね。発症当初の見かけと同様ですが、中身はリハビリで大きく異なっていますよ、だらり腕。
 10月5日(日)、多くの人に「自分より劣っている」とか思える人がいることで心の安定を求める傾向があります。差別に繋がる心ね。あるブログで「自分より重症の人と比べて恵まれている」てなのがありましたが、こんな考え方も差別に通じるのではと思うのです。もし、その時たまたま軽傷者ばかりで重傷者がいなかったらどうするのですかな。幕府とかが農民に「自分はまだ、幸せなんだ」と思わせるために作ったのが被差別部落差別ですよ。また、民族差別であったりね。身近な差別事例が「いじめ」ですよ。「差別の心」は私も含めて誰でもわいてきますが、それにどう対処するかですよ。相対評価しかできない人の多い日本人の哀れなところですかな。私なんぞ、視床出血で、結構死亡率の高い「病院搬送到着時意識なし」(30~40%ぐらいかな)のレベルでしたが、他の方がどうのこうのとか思わなかったです。「あちゃ、出ちゃった。リハビリで復活するぞ」と思った程度です。ですから、落ち込むこともなく、焦らず騒がず笑い転げながらリハビリに楽しく取り組んできているのです。比べたってリハビリが早くなるわけでもなく、比べないから遅くなるわけでもなく、単に私の取り組みだけですからね。見た目では判らないですよ、他の方の症状はね。棺桶に両足を入れかけて、寝ている状態のまま頭側を少しあげただけでベッドからの転落(頭を下にしてのね。床と頭頂が仲良く接触していました。)時に三途の川で溺れ生きしてきた私って軽症? 完全な左半身全部の感覚麻痺ですが、3ヶ月後には「階段昇降」のリハビリをボチボチ始めてましたよ。ホントは2ヶ月ぐらいより少し前からね。左半身が完全に麻痺してましたよ。頭の先から足の先までね。それより、リハビリ病院入院中に他の患者さんと話をしていて、「この方、リハビリでしくじったのでは」と思った方が数名いました。リハビリでしくじると、動くものも動かせなくなりますからね。へまにいって、ドボンと落ち込まれたら大変だしね。私が「奇跡的」(リハビリ病院での患者の中で)ではなく、他の患者さんがリハビリでしくじっているというのが現実かなと退院後のブログ等の投稿も含めて調べてみて感じるようになりました。「闘病記」のはずが、脳卒中になられた方がより良いリハビリができる一助としての面だらけになってしまっている感じがしますが、続けます。リハビリにしくじった方には申し訳ないですが、延々と続けます。気がついていない方もいるみたいです。何度も何度も繰り返します。相対評価の延長線上に「脳卒中での後遺症」についてもあるのかな。「棒足ぶん回し足出し歩行」は後遺症ではなく「不適切リハビリ」が原因と考えています。「他の多くがそうだから正しい」という思い込みね。基準をもつことができないということかも。

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