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2014年8月17日 (日)

また、暑い夏がやってきました。

 「暑い夏」というのに暑い夏以外の意味は本来なかったのですが、1945年頃からかな。
 あの「ポツダム宣言」受諾についての悪あがきを認めようとしない面々が未だに多いですね。ドイツは狂信的なナチス支配、日本は優秀な軍事官僚が実権を握っていたと考えられるのです。
 優秀な軍事官僚はなぜか、未来を考えてみるということが不得意だったようです。そして、現状把握能力にも欠けていたと思えるのです。そして、未だに恥の上塗り的発言を繰り返す人々もいます。
 あの年の7月でしたか、ポツダム宣言が示されましたね。当初、「黙殺」だったかな。英米はそれを「拒否」と受け取ったとか。そりゃ、爆撃とかは続行になりますよね。国内での駆け引きね。そこには国民については考慮された節がないようなのです。
 司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」でしたか、栃木県あたりの戦車師団で本土決戦で湘南あたりにアメリカ軍が上陸したら、避難民が北関東に押し寄せたら戦車では道路を走れないとかとか質問したら、上官は「ひき殺せ」だったと。各地の玉砕とかをみると、「一億玉砕」もやりかねない優秀な軍事官僚でした。
 天皇陛下が実質的に大日本帝国憲法違反の直接裁可で受諾に持ち込んだはずですよ。天皇陛下を追い込んだのは当時の軍上層部などの指導層ですよ。そのあたりに対する反省の声が全く上がってこない日本。そりゃ、BC級戦犯が続出した理由も上層部の無為無策ですよ。
 集団的自衛権についての憲法解釈変更の前にするべきはずの先の大戦での一億玉砕等、日本つぶしを平気で唱えていた当時の状況についての検証ですよ。国体護持と一億玉砕は並立しないですよね。それを両方同時に唱えていた当時についての検証だよ。天皇制存続の危機へ平気で突き進んでいた当時の検証だよ。

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