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2013年9月23日 (月)

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No59

リハビリでできるようになること  「あなたは軽かったのでしょう。」という方は読まれない方がいいですよ    病棟の外へでることができたときなどの感じ   上肢のリハビリの今までの思い出   リハビリの目標の思い出   病気自慢をしておかないと   「美味しくない あれは 美味しくない」

 9月16日(月)、昨日夕方、雨の中散歩。うんちはでなかったですね、おしっこだけでした。「リハビリでできるようになること」ということですけど、普通はよくて以前できていたことができるようになるですね。そして、私のリハビリ病院等での目標で、「犬と散歩ができる」とか、意味の取り方で大きくずれがある「コンタクトレンズ装着ができるようになる。」などね。私のコンタクトレンズ装着とかの目標は「左手でコンタクトレンズのケアができるようになる」という意味です。あのハードコンタクトレンズを左手の指で洗ったり濯いだり右手同様に作業ができるね。いつになることやら。でも、発症前はできていたことです。散歩も表向きで、入院中から出てきたのが「階段昇降」ね。これも発症前は普通にしていたことです。そして、発症でできなくなったことを悔やむのか、リハビリでできるようになた部分が増えていくことに喜びを覚えるか、皆さんどうなのでしょうね。私は子育ての時の基本は「ほめる」というか「怒らない」というか「見守っている」という感じで、後は「親の背中を見て子は育つ」でこのの部分について、最近下の子に話をしました。ところで、我が家の子は男のみ。よって、わんちゃんは雌。また、我が家は「女尊男卑」の傾向があるので、「知人が男出産」というのを聞いて、嫁さんが「まあ、かわいそう。」たいていの場合、男はムッツリだし、・・・できないしとかですね。大学の時、下宿しても男なので、心配の度合いは女の子より少なかったかも。子供にとって勉強とは「好奇心からするもの」とか意識づけれたら、下宿させても問題はないです。これと同じようにリハビリも動機付けが大切かも。勉強もリハビリも権利であって、義務ではない。権利はこちらか積極的に行使していくと効果が出ると思います。自身の取り組み次第でできることが多くなっていくと思いますが、人それぞれでどう足掻いても無理というのもあるかな。でもね、大抵はぼちぼち程度はできるようになる可能性を持っています。諦めたらお仕舞い。別の手段とかをとる方がよいかどうかはよく相談してね。別の方法の方がよいこともあります。人間は誰一人として同じ人はいない。一卵性双生児でも厳密に言うと同じではない。ましてやクローン人間などをつくっても核の提供者と同じではない。別人です。だから作成の意味がないです。何か別のところにずれてしまいましたので今日はお仕舞い。
 9月17日(火)、昨日、ある方のブログにて「脳卒中、リハビリについて!!(すみません、ムカついています)」で、その方のブログへの投稿に対して、ある方がコメントされていました。そのコメントを読むと「ムカつきます」。どういうことかというと「あなたは軽かったのでしょう。」というコメント。私がほかの患者さんに言ったことない言葉「あなたは軽かったのでしょう。」です。普通、患者にとってほかの患者の症状なんてわからない。それでも、時々、発症期のことを書くのは私は直接「あなたは軽かったのでしょう。」と言われたことがあるからです。いった方の症状はわからない。同様にわからないはずです。ですから、なにかほかの方のをもとにするときにはそのブログを読みまくります。発症したときの状況を知りたいからです。どうも、私みたいな視床出血は出血時に生き延びれて(死亡率が結構高いから)、そのときに主治医からどう言われ、どのような状態だったか知りたいからです。この方も書かれているように、脳梗塞や脳出血の症状は千差万別ですね。ただ、いくつかの条件があれば、割と早く意識が回復したとか、脳卒中だけであって、ほかの外傷等がないなどね、ですと、「リハビリへの取り組み度→回復度の違い」となってくると思います。リハビリ病院入院中にほかの患者さんから「動くのでしょうか」と聞かれて困りました。私の考えでは「動かせるようにするのはあなたです」けど、傷つけないように答えるのに苦労しました。人間の初期の発達状況やそのほかを考えれば、動作を起こそうとし挑戦し続けることがリハビリの基本だと思っています。人間の体は健常者でも使わないと衰えます。「あなたは軽かったのでしょう。」というのはそういう自分を誤魔化す「合理化」(心理学用語)として使っているようです。
 9月18日(水)、昨日、一昨日とは別のある方のブログで「入院中の思い出」で花見の話があって、私の入院時の様子を思い出していました。病棟の外へどのような感じででることができるようになったのか、そのときの感想も少し交えてみました。昨年2月9日に視床出血で入院、そこの病院では「要監視人物」(ベッドから頭を下にした転落のためね)だったので、リハビリとお風呂以外は病室の中だけ。4人部屋でしたがトイレ付き。外の空気はリハビリ病院への転院の時までお預けでした。3月13日転院では当然介護タクシーで車いすに乗ったまま。リハビリ病院では付き添いがあれば、車いすでうろうろできますが、5階病棟以外にいくのはリハビリの時だけみたいなものでした。4月になって、車いす使用で一人でのエレベーター使用が許可になりました。その日以来、朝の外出、といっても車いすに乗って、自分の足で漕いで出入り口から数十メートル程度の範囲でうろうろですが、気持ちよかったのを覚えています。そして、1階のリハビリ室の前で誰もいないときに「暴走」、足漕ぎで加速して惰性で走行するというのしました。自己満足に浸っていたのかな。花見にはSTのYさんとYさん担当の患者さんと病院内敷地のを見に行きました。そのとき、やってしまったのが車いすの片方の車輪を持ち上げてしまって、Yさんを慌てさせたことかな。凹みに車輪を落としたのでバランスが取れれば、片方を浮かせることはできますよね。5月の中頃だったかな、杖歩行でエレベーター利用許可になりました。この許可で病院の敷地内は単独杖歩行可になり、毎朝、毎夕などの敷地内散歩を始めました。午前6時頃の散歩は気持ちがよいですよ。次が5月30日あたりだったと思う階段利用許可ね。で、1日に5~7回ぐらいだったかな、5階から1階、1階から5階へという往復昇降が始まりました。「運動せな大損」「体を動かしてなんぼ」というのがリハビリの極意だと思っていました。危険を伴うと思われる部分は病院の指示を守っていた私かな。看護師さんらにとって病棟内うろうろの時期は鬱陶しかったでしょうね。用もないのに病室と看護師詰め所前の往復だったからね。暴走や階段昇降は散歩などとともに歩行のために役に立ったと思っています。
 9月19日(木)、腕のリハビリで覚えていること。ちょいちょい思い出しておかないと「記憶が嘘をつく」状態になってしまう恐れがありますからね。「本人は嘘をつく気がなくても記憶が・・・」というのが日経サイエンスにでていたことがありました。高次脳機能検査では、この「記憶が・・・」を調べることも目的の一つでしょうね。冤罪の多くは誘導で「記憶が・・・」もあったでしょう。記憶は変化していくことがありますよ。で、本題。左腕は当初ぶら下がっているだけでした。感覚は当然全くなし。そこで、健常側の右を使って、持ち上げたり、肘関節部で曲げ伸ばしをしていたのを覚えています。リハビリが始まった当初は「拭き掃除」、「ものをつかんで移動(何回目からかは覚えていない)」など(OT)や「手をついて体を支える」(PT、棒状かな、少し体重をかける程度)で、つかむ動作のとき「麻痺すると曲がっているから、伸ばしてものの側に手を持ってきたら掴めるよ」といわれ、そうだと確信して病室に戻ってから、左腕の肘、手首、左手の指を伸ばす試みを何回も何回も繰り返しました。すると、伸ばせるようになってきたのです。主治医に「指を曲げてみて」といわれて試みたら曲がり、指指定でも曲がるようになりました。伸ばし特訓の時は夜熟睡できました。腕の持ち上げはOTでぼちぼちしていましたが、あるとき、PTのセラピストさんが私の車いすを押しながら「腕を上げてみて」といわれたのであげたところ、もう少しで「パンチ」できるところまであがっていたようです。結構真上にストレートとしてあげれていたようです。感覚が戻っていないので私には状態がわかりませんでした。指伸ばしができるようになったら、「グッパ」や「小物つまみ」を病室でもしました。暇だったのでリハビリでもするほかないでしょ。リハビリ病院では、1kgのダンベルを持ってきてくれていたので左でもしていたら、「頭にゴツン」1回ありました。それから1年以上たちますが、異常なしね。退院後はダンベルでは3.4kgまで徐々に増やしましたが、腕の痺れがきついので中断中、コンタクトレンズ装着はリハビリ病院の4月当初ぐらいだったかな、そのあたりから悪戦苦闘しながらも左手も使って自身で装着をしています。それ以前は看護師さんに装着してもらっていました。最近はだいぶん楽になりました。看護の勤務態勢のことを考えると朝はどうしても遅くなります。だから、「自分で」ということに。リハビリの極意か。
 9月20日(金)、リハビリの基本的な指導内容はそう変わらないと思います。前にも書いているのですが、「リハビリの目標」ね。OTとPTはぼちぼちのほどほどの目標、読み返してみてください。STの目標が大笑い対象に。どうしてかというと、脳神経外科の主治医は発症前をご存じではないというところからかな。まあ、深呼吸の仕方を忘れていたとか、舌、頬などの動作がおかしいとかはありました。問題は「発声」ね。リハビリ病院に転院した頃には家族にいわせると「元に戻っている」、3月末には知人も「元に戻っている」てな感じ。なので、STの目標には「発症前より美声に」とお願いしました。普通は発症前程度がリハビリの限界だと思いますが、「発声」は前々から気にしていたのでよい機会と思いリハビリを受けることにしました。STで笑い声が絶えないのは私がリハビリをしているときかな。同じリハビリをするのなら、楽しくする方がよいに決まっています。こんな風にリハビリを見ているということは、勉強も楽しく、仕事も楽しくの方がよいと思っています。OTもPTもよく笑いました。STですと、ほかの部屋は静かな感じでした。映画「ローマの休日」でヘップバーンがストローの包装を吹き飛ばしていましたね。このSTでもストローを使うのがあったので、その都度毎回「どこまで飛ぶかな」と吹き飛ばしました。この動作もリハビリにあるのです。担当者は4月の後半あたりから継続で苦労されたみたいです。なにせ「発症前より美声」ですからね。届けの目標は何にしてくれていたのでしょう。今度、遊びに行ったときに聞いてみようっと。昨日、お風呂で左腕を上方に振り上げると、いつもより痛みが強い。角度などは右腕とぼちぼちみたい。左だけが痛い。拘縮でも始まったのかな。毎日振り回しているのに? 昨日、足の爪を切りました。右足は順調に切れましたが、左足では悪戦苦闘も、やはり、麻痺の影響が出ています。
 9月21日(土)、またまた、ある方のブログで「病気自慢はしたくない」というのがありました。私のここは「復活の様子」ということなので、ちょいちょい病気自慢をしておかないと、「軽かったのでしょう」とか思われたらインパクトがなくなると思っています。重症でも復活できる可能性がいくらかはある(本人は結構復活の可能性があるのではと思っていたりね。)ということを知ってもらいたいとね。ところで先日投稿した中にショッピングセンターで看護師の知人と会ったことを書いたかな。そのとき、いわれたのが「闘病の武勇伝」です。はい、棺桶に足を入れかけたことがよくあったのでね。その入院歴、今回を含めて4回ね。以前の3回でも「落ち込む」ことはなかったですね。それと、その知人の知人というても、私も直の知人ですが、「嫌な患者」ともいわれました。知っていて何も言わずに値踏みみたいなことを思っているとね。看護師にとってはある意味「嫌な」かもしれないですね。で、武勇伝ね。でもね、1回目はおとなしい限りですよ。このとき最もやばかったのは消化管での出血中かな。止血できないもん。ほんの2~3リットル程度を一晩でね。初めての入院だったし、一応緊急入院だったしね。それと、私は「様子見」をしますので、様子見の間は大人しいです。というか、普通は大人しいですよ。2回目の入院時から「階段」、「病院の階段」ですね。それと、朝の散歩ね。詳しく書いているとあれなのでこれはこの辺で、肝腫瘍でした。3回目が今回(4回目ね)救急車で搬入された病院。この3回目で脳神経外科も「掛かり付け」になってしまいました。肺がんでした。でもね、手術後、ほかの階にいってもよいとなってからは2階から9階までの「病院の階段」ね。それも途中に中4階付き。それと、朝食時、到着を待ち構えて受け取り、ほかの患者さんに配布中に食器返却ね。この入院のときに、「筋肉は使うもの」「筋肉は伸ばすもの」という体験をしています。こうことは同じ失敗を二度しないようにしているかな。脳の方は血管造影ね。だから、受け入れてもらえたのでは。「武勇伝」にはほど遠い概略だけですみません。患者業をちょくちょくしていると、看護師さんの前で裸になるのは慣れてきました。そうそう、発症して半月ぐらいでの介護認定では「要介護4」、重症の方から2番目ね。それが、この半年後の更新認定では「要支援1」まで転落しました。週1回の訪問リハビリで介護保険を使い切っています。月5回の時だけどね。4回の時は少し余っているのかな。でも、使いようがないです。今年の更新でも「要支援1」、そのままです。
 9月22日(日)、犬川柳の今年のに次のような感じの川柳がありました。「美味しくない あれは 美味しくない」と柴犬がある食べ物を見ている写真のところにでね。写真はかわいい柴犬がリードとかで食べにいけないところに食べ物があるというものです。これをリハビリに当てはめると「あの人は軽かったのだ。回復しているのは、きっと軽かったからだ。」と派手な字余り川柳ね。自分を納得させようとする思いですね。そこにあるのは「諦め」かな。ある方のブログでボトックス利用ではなく、拘縮から解放されそうだとの喜びの投稿がありました。この方は、字余り川柳とは無縁の取り組みをされたのでしょうね。リハビリでセラピストさんがほかの方と比較しましたか。比較しなかったですね。そして、諦めない。決めつけない。ですよね。子育ての基本でもあると思います。脳卒中だけですと、筋肉や関節、骨などには異常がない。使えるような状態を維持しておく(これが難しいようです)。脳は以外と作り直されているようです。死んだ神経細胞は生き返らないですが、樹状突起等でつなぎ替えが起こっているようです。だから、私でも感覚が徐々に戻ってきているのです。脳のこのような作り替えがないのなら、感覚は戻らないはずです。「きっとおいしくない」とかみたいに思い込んで脳への刺激を与えなかったら、作り替えは起こらないですよ。脳の発達の過程を考えると刺激というのが必要ですよ。「絶対に歩いてみせる」と思い、そのための動作をしようとし、体の各部を動かしてみようとすることかな。ただ、いつになるかは私はわからない。これでリハビリに取り組んだ結果が半年で完全麻痺から杖歩行ですが、1日10000歩とかになったのです。「要介護4から要支援1への転落」もね。麻痺したときに感じたこと、足は重たい。右腕だけではびくともしない。右足が頼りでした。昨日の恐~い話、午前9時頃「超久しぶりに気張りました。血圧上昇で漏れたらどうするのだ!恐怖との戦いでした。途中でやめるわけにもいかないし。(後で見たら、結構ロングサイズ)」

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