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2013年2月 3日 (日)

洗脳の怖さ、経験の怖さと大切さ

 「洗脳」というと国家組織などが反対派の切り崩しとかなどなどでおこなわれるとかいわれている場合もあります。そうかもしれないですが、そうでない場合も沢山あります。
 人間は多くの場合、自身の経験や教えられたことに囚われて行動している。コンラート・ローレンツによって明らかにされた鳥での「刷り込み」ですね。人間では余りいわれていないですが、分析力とか批判能力とかを育てる前に「思い込み」をさせるような指導や教育や訓練をうけると「刷り込み」と同じ状態になるのでは。
 多くの指導者の指導パターンの基本はどう指導されてきたかということである。多面的な分析力のない例は日本の政治家などをみれば明らかであると考えます。そして、異端が排除されやすいのが日本であったり、某宗教過激派であったりするのでは。
 だから、二流では二流しか育たない。一流は「自己変革」をおこなって能力を向上させていくことが出来ます。二流でも一流の発想法とかに本当の意味で気がつき、これで自己を変革できれば一流になれる可能性はある。一番に伸ばすべきは「本人の気づき」であり、それによっておこる「向上心」を育てることであって、「恐怖による支配」では成長が止まってしまい、その場しのぎになっていきますよ。
 日本の教育現場やその周辺には二流ばかりが跋扈している。その典型が「体罰」であり、「順位競争」である。子供らを含めて「順位競争」は指摘しなくてもしているものである。教育の場での洗脳の例としては「早期教育」で小学校レベルの学習を幼稚園でさせるとかがあります。「早い=有利」という刷り込みです。実際は小学校で脱落している場合が多いですね。幼稚園では、年齢に応じて「経験」しておきたいことがあるのです。それと、親や教師などの様子の方も非常に大切です。

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