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2013年2月10日 (日)

予報に対する思い

 今週の関東での大雪予報にたいして、東京都の猪瀬知事がなにか発言したようですね。アホかという感じがしています。地震予測と同様で思うとおりにならないのが天気予報。でも、昔より精度は向上しています。これはある程度の確率で「最悪」を前提に予報を出しておく必要がありますね。どうして、台風の予報で「弱い台風」とかの呼び方が無くなって「強い」に変わったかというと「弱い」といっても「伊勢湾台風より弱い」というような意味が消えてしまって災難が起こっていたからです。そして、自治体関係者は「最悪」を想定するべきですよ。その自治体の長が発言する内容ではないですね。
 先の原発事故でも「最悪」の想定がなかったためですよ。「最悪」に対処するには費用とかが掛かります。そこで費用対確率や効果等を考えることになります。原発に隕石でも命中したらどうします? 対策の立てようがないですが、確率は極端に低いですね。だから、考えない。地震の方はプレートによる地震帯があるのだから1960年頃のチリ地震規模も考えておくべきだったのにしていなかった。自然災害についてはその時に取れる最善をつくすということが常に必要では。特に行政関係者や公共交通機関、公益企業などはね。JRはまた考えていますね。緊急地震速報も使えないかとね。予算の関係もあるので限度はありますが、最悪を予測しておく必要があります。そして、外れたときは「よかった」と素直に喜んでよいのでは。甘く見てはいけないですね。数年前のチリの地震の時の津波は警報より低かった。あの時は次は「惨事」になる可能性も出そうだと思いました。警報を甘く見る心配が、予報や警報の意味を理解できないどっかの知事みたいなのがいるからです。
 「オオカミ少年」は受け手の心構えの問題です。

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