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2012年11月12日 (月)

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No14

 しばらくは日常の報告を主にします。なにかネタを仕入れたときはそのことも書きます。
 11月5日、ダンベル体操とかは昨日より出来ました。3.4kgも差し上げることが。今日の歩行も足の動きは普通に前に出ていました。麻痺とかした際に見られる「回しだし」ではなく「わりと素直にまっすぐ」という感じです。これも、できたりする日と回しになったりする日とかがあったりします。結局は脳の継続的な再学習が必要なことで起こるのでしょう。
夕刻に月1回の通院。で、先月「次の時、血抜きをします。」といっておいて、忘れてた。もう、水虫の薬のこともあるので「血抜き」して貰いました。心電図も完全に忘れてる。「来月します」と言われました。薬だけは前と同じなので忘れず処方してくれました。で、帰りに別の医院で「特定健診」の予約をしました。
帰ってきてから、左足の裏が痛くなった。前から「装具」の当たっていた部分に違和感があったのです。その部分にです。退院して、装具は即使わなくなりました。でも、使用していたときの感覚が残っているのです。何時消えてくれるのかな。
 11月6日、ダンベル体操での左腕の動きは安定的に回復している感じです。まあ、一進一退的な面もあるので明日も同程度ならよしとして継続します。「継続は力なり」。
 11月7日、朝、散歩の時、左足の動きに「回しだし」を感じたので少し意識しただけでほぼ修正できたみたいです。感覚神経がまた少し回復して感覚のアンバランスが生じても脳がすぐ学習して修正できる程度にまで回復したのかな。そうなら、いいのですが。走ってみましたが、こちらの方も以前より安定的になってきました。走っている時に左足の靴が脱げたのですが、難なく止まってはき直すことが出来ました。
ダンベル体操は昨日同様安定的です。現在の重さですと毎日することが重要なのでしょうね。筋トレは「休息」というのも重要になりますが、それは今の重量より一桁重くなったらと思います。夕刻より嘔吐、夜間に嘔吐と下痢、胃腸風邪みたいでぐったりした日でした。
 11月8日、嘔吐は止まりました。下痢は残り分がちびちび。昼には止まりました。夕刻、特定健診を予約した医院に行ってきました。まあ、ぼちぼち。処方された薬の内、2剤は飲みましたが、3剤は薬箱の肥やしになりそうです。
 11月9日(金)、昨日の寝過ぎや早寝で午前4時起き。でも、いつもは5時起きなので1時間早いだけ。昨日いけなかった花子(わんちゃん)とも朝の散歩にいってきました。「お帰りモード」へのスイッチがはいるのがなぜか遅かったです。ですから、いつもの朝の散歩の歩数より500歩ぐらいは多くなりました。今回の件での薬は1剤だけに、前からのと合わせて4剤服用しました。一昨日の歩数は6000歩以上ぐらい、昨日が2700歩ぐらい、まあ、風邪とかいっている割には歩けたと思います。今日は11000歩越えました。しかし、少しキツイ。回復力が衰えたみたい。鍛え直します。ダンベル体操再開しました。
 11月10日、昨日の影響が少し残っていますが、復調してきました。今回処方された薬の内、3剤は全く使用せずに済みそうです。抗生物質はへまに利用すると耐性菌を作るだけになりますので、飲むならすべて、飲まないなら全く飲まないのどちらかですね。顔での痺れや硬直感みたい感じの部分は耳の部分を中心にして残っていますというか、左右の中心線当たりは普通に戻ってきていて耳の方の部分に残っているという傾斜になってきている感じです。
 11月11日、朝、花子の散歩。雨のため、歩数は減少。よってダンベル体操。腕の痺れがいつもより強い。ただ、顔での違和感の範囲が狭くなってきていると断言できるような感じになっている。感覚神経の再生では腕が最も時間がかかるという話です。諦めないということが再生への道だと確信しています。
 次のようなメモをCT写真のコピーの裏面で見つけました。2月11日(土) 15:20  ヨーグルト(125ml)ストローで飲む
                                            ジョア            〃
                                     16:00  いちごヨーグルト 1カップ      のみです。転落はこの後(何時間後かとかは記憶にありません)だったような気もします。
 訪問リハで聞いた話。床ずれ(褥瘡)は有名ですね。前にも書きました「起きましょう」というのを何も考えずにすると椅子でも同様のことが起こることがあるというのです。体にあった椅子で時々座る姿勢というかお尻の椅子との接触部分を変えるとかの必要のようです。第一は体にあった車イスや椅子です。私の場合は体格的に標準品で適合したみたいですし、同一姿勢が長時間になるとよくないことを知っているので、麻痺していない側の足や腕を使って時々、座る位置や姿勢を変えるようにはしていました。トイレに行って用を足すというのもよかったです。リハビリやシャワーとかお風呂とかに行くと姿勢や座るときのお尻の位置が変わりますから褥瘡の予防に効果があると思います。
 また、発症時のことになりますが、出血後(脳に異変)、麻痺を感じ始めたのは数十秒程度。歩行も。数分後には左腕の麻痺確認。10~15分後程度で一旦意識を失ったようです。これで、自損事故。その後、病院到着直前まで意識があったりなかったりです。救急車がどのあたりを走行しているのかが気になっていました。せめて、病院到着までと思っていたのですが、先に意識不明、で、時々意識が戻るので「コンタクトレンズはずして」とか言えたのです。典型的な視床出血症状のようです。出血量ですが、概算も教えて貰っていないので、よくわからないです。10mlで死亡率に大きな差が、ということで10ml以下だったみたいですが、入院時の状況等からは自立生活復帰割合は低い症例みたいだったと「視床出血の予後について  ー入院時の意識レベルとCT所見の立場からー」(脳卒中13:99-106,1991)という文献から推定しました。消化管出血の100分の1以下の出血量だと思います。納豆や黒酢など血液さらさら対策をしていなかったら出血量はもっと少なかったのかもしれないです。
 冗談話をひとつ。入院して2日目当たりでベッドから転落しましたが、その後の方が意識がはっきりしているのです。これはひょっとして転落事故の時、時を同じくして私の魂が三途の川で渡し船から転落しておぼれ生きしたのではと空想したりしてます。左半身麻痺だから泳ぎは出来ません、当然おぼれ生きしますから。閻魔の庁に向かっていたのが戻ってこれたので、意識がはっきりとしてきたのかな。渡し船の鬼の船頭、後で「始末書」を書かされていたりして。残念ながら臨死体験といわれるような記憶はないです。桂米朝「地獄八景亡者の戯れ」の聴き過ぎの愛好家かな。

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