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2012年8月31日 (金)

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No2

 2012年8月22日記録の続き2012年8月31日記録
 2012年8月22日記録の記述と重複する部分が多いと思います。
 視床出血で半身麻痺になったわけですが、病院に行こうとしたときから「リハビリで復活する」と決めつけていました。視床出血とわかって、「運動神経」は無事であると確信しました。気になったのは不随ということで筋肉が減少すること、筋肉が固着してしまわないか、骨の密度の低下などです。「動かないままならどうしよう」とは一度も思わなかったです。どこまで復活できるかは確信が持てないのですが「必ず復活するのだ。」という意識は強かったです。ですから、自宅リホームに際して「歩いて帰る」とか思っているのですがいえなかったですね。入院中に15000歩達成でしたし、退院した翌日から近くの駅までの往復を歩いています。それで、出来るだけ「平常」に近い生活、例えば、朝6時頃に起きて夜9時頃に寝るとか。日中はからだを起こして車いすに座っているとか、それなりに筋肉を使うようにしてました。
 リハビリの遅れる原因の一つに「動くようになるのでしょうか」と入院中に私に聞く患者さんがいました。動かすのは「あなたです。自分でやってみたください。」とはいえませんでした。返事に困りました。私は決めつけているみたいなものですから、「リハビリは楽しい」でしたがつらかったのでしょうね。入院中に「リハビリはしんどい」とかよく聞きました。自分の現状の受け入れが出来ないのもあったのでしょうね。「役にたつ」とすぐに実感できることを期待しすぎていたのかも。今の風潮が「即効性」ですからね。そのようなことを考えるとリハビリは「蟻の歩み」や「カタツムリの歩み」より遅いかもしれないですから。人間は寿命が長いからいろいろなことが起こるのです。そして、ゆっくりと回復していくはずなのですが、使わないとなると結構速く「退化」してしまいます。
 今までの私の勉強したことから考えると「本人の意欲」ですね。それと周りの環境ですね。もし、同じ病室に「沈没傾向」の患者さんだけだと回復は遅くなったりするのでは。13年ほど前の入院の時、私より後から入院してきた患者さんが私と見て落ち込まずに手術を受けられ、退院されたようです。私より後なので、回復されているはずですがわからないです。私と同程度なので今も近所で生活されていると思います。入院当初は落ち込んでいました。肺がんでしたから。
 ところで、今回、入院中にあった「服薬指導」役立たずでした。血圧の薬、これはその人の血圧変動に合わせて服薬の時間が指定されるものなのですが、「朝食後」ですが説明なし。過去に私自身の血圧測定では日中が高かったのでまあよいか。ということは朝食後ではなく「朝・時頃」ではと思います。朝抜きや朝食時間が大きく変動する人には意味がないかも、あるいは弊害が。爪白癬の薬、これは毎日同じ時間にのはずなのでまあよいか。服薬で「食後」が多いのは飲み忘れを防ぐためだそうです。あと一つは胃薬なので「食後」でよいかなと思いました。

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2012年8月26日 (日)

会議で決まらない体質の国の可能性

 2012年8月にNHKで敗戦前夜の政権内部のことが放映されていました。NHKには悪いですが、「馬鹿臭い」。理由はNHKがこのようなことをちょいちょい放送する必要がある人々がまだまだ政権中枢とか野党勢力の中にいるということがです。領土問題ですが、トラブルの主因は敗戦決定が遅れたこと。身内の空気は読むが、海外については「鈍感」そのものの体質。ソ連の参戦は国際法上は問題ない状態にしたのは、関東軍のソ連を仮想敵国とした大演習だと司馬遼太郎氏は「雑談 昭和への道」で話されています。平和条約を結んだ国を仮想敵国とするのは国際法上、条約廃棄通告と同等だとか。そして、早い段階で駐在武官から情報がもたらせながら、決まらなかった。身内の固定的観念の結果ですよ。
 陸軍、海軍、外務省その他の主導権争いがあったのでしょうね。そこにあるのは陸軍村、海軍村などのムラの利益で国家の利益は眼中になかったのでは。今の国会の動きを見ると、完全に「日本をどうするのか」というのが消えてますね。野田首相がうろたえるように周りが足を引っ張っている。
 尖閣上陸の件でも先例は自由民主党時代に作られている。今の国会の情勢は先の衆議院選挙の民主党と自由民主党を入れ替えれば、そのまま話が通じます。自民党の総裁もまだ麻生さんの方がよっぽどよかった。民主党は不作続きで今が一番マシかな。その不作の一番手が野田首相の足を。そこには「議論」もくそもない。あるのは「政局」のみ。それも思いつきのみで行動している。お連れさんは離党して「国民の生活が第一」とか言っていますが、行政改革と国家財政安定が国民の生活を守ることになるはずですが、借金でばらまきをしようとしている。もう先はない(お歳なので)ですから、今さえ勝てればと言う感じです。遺産として借金を残すみたいです。この遺産、相続放棄は出来ないですからね。
 「一体改革」で「具体案を示せ」とかいっている政党さん、少々杜撰でも示してみてください。野党は政権党みたいに精密なのは造れないと思います。骨子だけでいいです。政権側は議論の出来る案をですね。ところが、入り口で止まっているのが今の状況ですね。
 原発事故の時も東京電力はテレビ会議とか会議はよくしていたのでしょうね。「海水注入」とか「ベント」とかタイミングが遅れたみたい。決断できなかったのでしょう。「絶対安全」にあぐらをかいた? 帝国陸軍は世界一?におぼれて考えなかった、そして、ずるずると深海に。二者択一しかないときはやり直しが出来ない状況の時ですね。適切な想像力がないと適切な選択は出来ないですね。原発事故でいうと「廃炉」と「汚染拡大」の両方の適切な想像力かな。
 建前論や手続き論の議論ばかりで決まらないという状況ですね。この体質を変えて欲しいですね。次の選挙では投票するべき政党が一つもないですよ。全政党不信任は「白票」ですかな。

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2012年8月24日 (金)

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活

 記憶だけを頼りに書いてみます。2012年8月22日記録 リハビリはまだまだ続きます。俗にいう6ヶ月を過ぎたのですが、復活していると感じられることが日々起こっています。また、追加をしたいと思います。
 2012年2月9日午後6時頃職場のトイレで尿放出中に脳の中で出血が起こったような感じがしました。以前からもし脳で異常を感じたときは自宅近くの総合病院に行こうと決めていました。理由は13年ほど前に脳の血管造影をしていたからです。その時に脳の中に動脈瘤によく似た形の悪い血管があると。異常ではなく、形が鬱陶しい。ですから、その時も手術などという話は造影検査結果で消えていきました。今回は他へ行けば当然騒動になるので、すぐに車で向かいました。これは自損事故に済みましたのでほっとしています。
 事故の音で助けに来てくれた方に「脳内出血」なので救急車を呼んで貰いました。救急隊の方には血管造影の件もお話ししたら、診察券を探し出してくれて、番号を言ってくれたので目的の病院に受け入れて貰えました。すぐにCT、で視床出血であると判明しました。造影の写真のある病院なので点滴だけで経過観察という普通の視床出血の治療になりました。その結果、早期にリハビリを開始して貰えました。脳卒中の治療などと同様にリハビリも早期に開始するのがよいのです。そして、その時、本人が回復するのだという意欲に満ちて積極的であるということがあればより効果が高くなると考えられます。そして、「リハビリは楽しい」と思えることが大事です。
 入院して2日目かな、持病のひとつ、鼻づまり、で鼻が詰まったので上半身でも直立に近い状態にしたいと思ってベッドの上半身側をリモコンで(左半身完全麻痺の時です。右手で)起こしていったら、背もたれにベッドがあってもバランスが取れなかったのです。さすがに感覚麻痺です。これほどの症状とは思っていませんでした。ベッドから頭を下にして落下したのですが、さすがに感覚麻痺で動かない左足がそのままベッドに残って頭の先端が床に接する程度でとまりました。命拾いですし、受け入れてくれた病院に迷惑をかけずに済みました。頸椎損傷もなかったのです。ただ、部屋替えでナースステーションから一番監視のしやすいところに移動と相成りました。
 しばらくして車いすに座れるようになりました。出来るだけ長時間車いすに座るようにしました。簡単に言えば「夜に普通に寝たい」これにつきます。病院の深夜はホント退屈です。そして、何日かしてからは朝6時半頃から夜8時過ぎまで車いすでした。当初、トイレは行っていないですね。尿は管を入れていましたので。それをとってもらってトイレに行くようになりました。ただ、看護師さんによる送り迎え、服の上げ下ろしです。でも、「車いす取ってきますね」を離れた隙に左足の鍛錬を非常に短時間ですが始めました。但し、トイレの介助用の棒を右手でしっかり抱きついてました。そのうち、左足も幾分か役にたつようになったころ、看護師さんと一緒だったのですが、トイレで急に左足の力が抜けてしまいました。床に落ちはした。元に戻るのに苦労しました。今は正座から支えなしで簡単に立ち上がれます。
 また、車いすに座っているときに左足に力を入れてみたりしていました。ベッドサイドでの車いすの位置でなかなか思う位置に止めてくれないので、右足と右手を使って移動をするようにしました。方法は右足でからだを少し浮かし、落ちてくるまでに右手で椅子を持ち上げ、右方向に引っ張るということをしました。これ、失敗はなかったですね。物理学的には倒れない程度にしかできないと思っていました。
 リハビリですが、理学療法で平行棒の他端に姿見を置いて「見えますか」で「見えません」。翌日からコンタクトレンズをして貰えるようになりました。コンタクトレンズ以外で視力矯正の出来る人はそちらでということです。担当のセラピストさんからみると「回復が早い」部類に入るようです。理由を勝手に考えると、発症前、階段好きや犬の散歩、ダンベル(10kg×2)などで足腰を鍛えておいたからかな。車いすを動かすとき、右足でおこなっていたのを、あるとき、左足も参加させたら、左足の鍛錬になるよと言われました。ところが、左足を使うと右足だけより時間がかかるのです。でも、使っていくうちにぼちぼちの使用感になってきました。「使えるようになってから」ではなく、「使えないのなら使えるようにしてしまえ」という感じだと思います。
 作業療法で、「指を伸ばせたらものを掴めるようになるよ」といわれて指を伸ばす運動を開始しました。そういえば、麻痺したら勝手に指は曲がっていました。それと腕を上に上げる運動ですね。特に腕で出やすいのが「硬直による筋肉痛」。これを防ぐのは「筋肉を伸ばす。」これしかないですね。右腕と同じような範囲で曲げ伸ばしできるはずである。痛くても少し我慢しておこなう。これを繰り返すと、普通に屈伸が出来るようになるはずであるとね。そうこうするうちにものが掴めたり出来るように。そうしたら、ようもないのに車いすの手すりとかベッドの手すりとかを掴ませました。そして、腕に力を込めてみました。また、リハビリ用に小物を持ってきて貰っていじくりました。感覚の復活は出来るだけ多くのものを触ってみる見たいです。左手で握手しても未だに鈍いです。
 そうこうしているうちに急性期の病院から回復期のリハビリ病院への転院となりました。3月13日です。
 当初の入院期間3ヶ月というのを聞いたので「爪白癬」の治療を依頼しましたら、開始して貰えました。こちらでは、理学療法(PT)、作業療法(OT)、言語聴覚療法(ST)の3つを受けました。PTのUさん,OTのFさんは男性のセラピスト、STのYさんは女性のセラピストさんで感じがよい上、冗談が通じるのです。
 当初にそれぞれ「目標」というのをいうのです。表の目標をまずいいました。その後、徐々に本音の目標をね。STは裏表なく「発症前より美声に」です。3月13日に転院して、その月末に見舞いに来た人と私の妻とSTのYさんにあって貰いました。そして、「もう発症前に戻っている」と2人はいいました。誕生から今までの生育歴の中での発声の悪さの矯正ということに相成りました。でも、ここの病院は発症による障害のリハビリなので本来の目的とは???。発症による障害のあるということで退院まで続くことになりました。途中、存続の危機をYさんが乗り越えてくれました。PTは「犬との散歩」が表、本音は「近所のスーパーに水4リットルもらいに行って、それを担いでその近くの百貨店の1階から5階まで階段を昇降し、家まで担いだまま、歩いて帰る」というものです。この「階段」というのが病院の階段を利用するというのに繋がります。OTは「コンタクトレンズを左手も使って装着できる」、私は両手使いで装着していました。本音は右手と同様に左手でもコンタクトレンズが扱えるということです。STとこれが実質で面倒では。
 PTは、当初前の病院と同様にリハビリが進みます。時間はこちらの方が10分長いです。杖を使ったり、平行棒を使ったりしながら、そして、階段の模型で階段昇降の練習も始まりました。土曜日に重症者相手の「土曜リハ」というのがありました。これが問題だったのです。Fさんという女性のセラピストさん。終わったとき、「月曜からもよろしく」。この手の話が退院まで続くことになります。PTのUさんは妻にいわせると「美形の男性」で同じ受けるのならおばさんより断然こっちという美形です。
 OTは、感じが違ったタイプのリハビリでしたが、ようは麻痺した方をこき使うというのに変わりはなかったです。そうこうしているうちに4月になりました。PT、OTともセラピストの新人が入ってきました。「見学してもいいですか」あるいは「見学させてもいいですか」。PTは違うセラピストになるのですが、OTはSさんにほぼ固定。そして、担当セラピストの代休の時、「私の代わりにSさんでいいですか。」と「その時だけの担当変更票」を渡されたので、「これがなかったらずーと変わるですよね」とかいってしまいました。そりゃ、私は男、セラピストは女性の方がいい。冗談で言ったのが、4月の下旬に5月上旬からSさんと変わりますがいいですか。御の字で承諾しました。で、PTへの風当たりがきつくなったのはいうまでもありません。
 5月上旬からは病棟内歩行可(杖使用)になりました。4月には車いすの暴走族みたいないわれ方になっていました。これは転院当初に車いすのこぎ方を診てもらったら、「つま先ではなく踵を先につけた方が歩行にも役にたつよ。」といわれたので、踵からつけてみると姿勢も前屈みに出来足に体重が乗せることが出来ました。そうしたら加速できるのです。それから、加速するには足の回転を速くしないと事故の元になります。で、左足を鍛錬して右足にある程度ついて行けるように出来たため、「暴走族」になったようです。それで、観察してみると、脳血管疾患者は優雅ですね。若くても優雅にこいでいます。整形外科系の若者は速いですね。私は整形外科系の方の近づいていたようです。一人で歩行が出来るとなると用もないのに病室とナースステーションの間を往復。日に数十回はしました。こちらも速い。主治医が私を追いかけるのに少し苦労したと言っていました。
 そして、階段練習要求をするようになりました。練習を重ね、5月下旬頃、一人で階段昇降の許可が出ました。その次の日にOTに行ったら{・・さん階段できたのでしょ」とSさんが言ったので「はい」と答えました。前々から「階段使いたい」と言っていましたので。そして、1日に1階から5階までの昇降を7~8回ぐらいを毎日するようになりました。6月には「小走り」の練習やボールけりなどもしました。階段を使い始めてからの歩数は10000歩を優に超え15000歩ぐらいが普通になりました。PTでFさんが他の人を指導していたりすると「よそ見」したりするので「よそ見しない」とか「ついて歩かない」とかいわれました。リハビリは楽しみながらするものですね。
 OTは「感覚が戻ってこないことには」という部分が大きいのでPTとかみたいな目立った進歩は感じられないのですが、徐々に出来ることが増えていきました。Sさんのお陰です。STはSTのYさんが引き延ばしてくれて退院の少し前までできました。
 今回のことで病院食に注意が向きました。その一つは「リハビリは脳神経系の再生」でもあるのです。この再生は脳細胞を増やすのではなく、死んだ細胞などが作っていた回路を生き残った脳細胞が樹状突起を伸ばしたり、軸索を伸ばしたりして再構成することでおこなわれます。樹状突起や軸索は非常に細い管です。早くいえば「細胞膜の塊」ですね。細胞膜の特徴は「流動モザイク説」で示される柔軟性にあります。柔軟に且つそれぞれの部位での働きをさせる上で必須脂肪酸というのが非常に大切な働きをします。それで、食材を見ると???。ω3の脂肪酸を無視している感じがしたのです。ω3の脂肪酸の一つがDHA。これ、「子どもの脳の発達に」とかありますね。リハビリの時の脳も子どもの脳も軸索や樹状突起を伸ばすというのでは同じなのです。そのあたりを考慮していないという感じの食材でした。リハビリは保険制度とは関係なく「時間との勝負」なのです。それの足を引っ張っているという感じです。私はサプリメントを買いました。
 リハビリはいくつもの面で「時間との勝負」ですが、患者、医師、栄養士、セラピストなどの意識が低いですね。それは、患者の意識を高めるということ、栄養面のことなどです。
 コンタクトレンズを装着ですが、最初の病院では、当初看護師さんにして貰っていました。そして、まぶたを持って貰って私の右手で装着、外すのは右手の指で外します。ケースへの収納とかして貰っていました。いつ頃から、左手でコンタクトレンズケースを保持できるようになりました。転院後はまぶたを開けて貰うということで装着していました。紛失騒動やズレによるトラブルもあるのですが、視力の確保という点でコンタクトレンズを装着する必要があるので看護師さん等は諦めですかな。早く左目のあたりの感覚と筋力の回復を期待しつつ面倒を見てくれました。
 4月にSTのYさんと患者さんのNさんと私で敷地内の桜の花見に出かけました。その時、歩道と車道の間の溝に右側の車輪が少し落ち込んだので右手と足を使って、おしりを浮かし、車いすに座ったまま持ち上げたら、Yさんが「車いすが浮いている」とかいって慌てて私の方にきてくれました。車いすに座ったまま、椅子の片側とかを浮かすことは出来ます。
 人間は常に可能性を持っています。それを引き出せるかどうかは本人の意欲とそれを支える周囲の力添えによります。「リハビリも楽しい」に出来ます。楽しかったです。「入院生活も楽しい」に出来ます。「楽しい」から「頑張る」ことができるのです。これは子どもの勉強とかと同じだと思います。
 視床出血→感覚神経麻痺であるが、運動神経無傷のはず。→運動神経をなんとかして使う。→感覚がなくても動くのでは。→そう、動いた部分もあるようです。
 病気療養中に「退職」となりました。どのような形の退職か想像してみてください。答えは書かないことにします。
 完全には回復できませんので、上肢7級、下肢7級の障害が生涯残ると診断されました。発症してすぐに「要介護認定」を受けました。その時の認定は「要介護4」です。先日、6ヶ月後の認定を受けました。どこまで転落すのか。介護保険から転落して「即介護保険適応外」はないという話なのでどこで止まるかはらはらものです。

キーワード 闘病記 視床出血 脳出血 脳内出血 左半身 麻痺 リハビリ 理学療法 作業療法 言語聴覚療法

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2012年8月19日 (日)

原発事故は人災?

2012年8月に福島第一原子力発電所の非常用のディーデル発電機は津波到達前にダウンしていたという話もあるとニュースで報じられていた。
 原因は「故障」という説。穿った見方をすれば「燃料不足」、「絶対安全」だから「電源喪失」はないであろう、だから「発電機は飾り」・・・。後で電源車を配車したとき、「コネクターが合わない」、これも「絶対安全」だから「電源車はいらない。飾りのコネクター」としたままだからでしょうね。実際、過去の書類の中に「全電源喪失は考えなくてよい」というのがあったというのですね。だから、非常用発電機の整備など放置されてきた可能性も。これも、「帝国陸軍は世界一」にうぬぼれて元亀天正時代の兵器に少し毛の生えた兵器でアメリカに戦いを挑んでいったのと同程度の発想かな。
 あとは、「思い込みと責任逃れ」の組み合わせという日本で特に顕著に表れやすい行動様式で、敗戦決定の大幅な遅れと同様に事故処理が遅れたのでは。すべての安全装置を使えて初めて「危険率限りなくゼロに近づく」ということを忘れて「絶対安全信仰」の末路ですね。
 ところで、オスプレイですが、あれも「絶対安全」などないですよ。空気より重たいものですから何かあれば落ちますよ。それは飛行機であるかぎり「宿命」ですね。普通に飛び交う旅客機もです。それを日々の整備やパイロット等の関係者の努力で墜落を減らしているのです。世界を見渡せれば、ちょいちょい墜落してますよ。どの程度の事故率まで許容できるかという問題ですよ。その事故率を如何に小さくするかということです。
 消費税増税は負担増ばかりいっているのを見受けますが、国家財政が破綻したらどうなるのか、試算してほしいですね。まあ、今のギリシャやスペインなどにその例は見られます。突如として「消費税率30%」という恐怖。円暴落による「悪性インフレ」、「銀行倒産」などによる極端な不景気などが一気に押し寄せてくる可能性です。ここまで財政が悪化した要因は自由民主党と官僚機構、「族議員」とも。昔の帝国陸軍と帝国海軍との関係みたいなものかな。「縄張り意識」で国を見ていなかった。そこに「マニフェスト至上主義」のアホ民主党。今回、賢い民主党に変身しようとしているみたいですが、国会議員も含めて「議員」はもっともっと国家や財政などについて勉強しなさい。世界情勢と国内情勢について勉強しなさい。
 例えば「サクランボの自由化」では「サクランボ農家壊滅」と騒いだみたいですが、現実は栽培面積1.7倍に拡大し、高品質種に転換成功した農家も。栽培面積1.7倍ですよ。
 原発事故も「廃炉費用」と「賠償費用」などの計算が出来なかった結果ではとも思います。

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2012年8月12日 (日)

第二次世界大戦前夜?

 2012年8月の国会の動きなどや最近の出来事と日本が太平洋戦争に突入していった時の事象とを比べてみるとまともな政策等が異常な動きによって潰されていったところなどがなにか似ているような気がします。
 その1、「原発事故」。「絶対安全」という妄想と「帝国陸軍は世界一」。どちらも実態がないにも係わらず、思い込みで対策をしなかった。だから、あれだけあった安全のための装置が使えなかったようなのです。全電源が喪失したときの対策もあったというのです。何もしていなかった。
 ノモンハン事件等で帝国陸軍の実態が出てきているのに何も対策を考えず、「鉗口令」で対応したのと同様ですよ。体質は変わっていないですね。
 その2、政権打倒。あの当時は文民内閣は戦争をしたくなかった。軍部は開戦派かな。それで、軍部主導の内閣にしたのが東条内閣。前内閣の潰し方は、「陸軍大臣や海軍大臣は現役武官に限る」とかいうのがあったとか。潰せますね。今の防衛省大臣に民間人を起用したときに「国会議員に」とかいうのがあったのはまだマシかな。
 その国会での野田内閣潰しを画策しているのは「政策」より「政局」。当時も軍部などの醸し出した「政局」。近い将来も見ていないというのが丸わかりです。
 1000万円借金があって年収40万円の人が90万円の支出をしています。借金払いが取り敢えず超低金利なので20万円程度で誤魔化していますが20~30万円借金を新規に増やしていっている状態です。少し金利が上がるだけで家計破綻ですし、ギリシャ家みたいに貸せないと銀行とかにいわれても家計破綻ですね。そして、この借金を返すのは生まれたばかりのこの家の孫ですよ。じじいの付け払いの尻ぬぐいを。あの戦争の尻ぬぐいをしたのは当時の若い世代であり、ツケが未だに続いていますね。問題を起こした世代は素知らぬ顔で鬼籍に籍を変えてしまいました。

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2012年8月 5日 (日)

日本だけの高温ならまだいいのですが

 2012年も8月になりましたね。どうも世界各地で「高温」状態になりつつあるようです。グリーンランド全土で氷の表面が溶けたとか。なにか100年ぶりぐらいとか。来年とかその少し後ぐらいで同じことが続くようでしたら「温暖化」の証拠の一つになりそうです。
 忘れてはならないことに「太陽活動の活発化」かな。数十年とかの単位ではわからなくてももっともっと長い期間で考えると太陽からのエネルギーは確実に増加します。その上、二酸化炭素の排出量の増加などがありますね。最近感じていることに「強風」が増えているのでは。これ、主因は大気がエネルギーを持ったためかな。
 海水も熱せられか、最近、「豪雨」が多いですね。これ、大気中の水蒸気が多いからかな。でもね、7月みたいな豪雨は困りますよ。ところが、オーストラリアなどでは「干ばつ」。もともと乾燥系の気候のところでしたが・・・。今年、また、アメリカでは「熱波」でその地域は雨量が少ないなどで、穀物の生育が悪いとか。穀倉地帯が異常気象に見舞われると「食糧難」で、世界的には餓死者が多数デル恐れがあります。
 日本では7月の豪雨とかで飲み水や農業用水などに不足はないようですが、早明浦ダムでの異常渇水、お忘れですか。今から5年ぐらい前まで5年間ぐらいでしたか、毎年でしたね。雨は気まぐれなのですよ。
 温暖化対策としては「二酸化炭素を排出しない」につきるかも。だから、太陽光発電や風力発電など。自動車の低燃費化や電気自動車かですかな。飛行機は最新型機へですね。家庭では「冷暖房」で二酸化炭素排出しないとか、テレビなどの使用で二酸化炭素排出しないとか、いろいろ方法がありますね。
 でも、電力不足のままにしていると「製造業」の工場の海外流出が起こったりしますよ。今の海外流出は戻ってこないかも。残るのは失業者です。そして、不景気風。皆さん、経済的な面からの「節電」に協力する羽目になると思いますし、実際このようなことで節電している方が増えてきているのでは。
 今回の原発事故は「絶対安全」という言葉に安住して、安全を確保するための手順とかを無視していたために起こったような事故です。スリーマイルアイランドでの原発事故の時、スイッチにラベル一杯だったので、日本なら運転員が優秀だから「日本では起こらない」とかいっていたと記憶しています。でも、「安住」で手順とかその操作の意味とかが身につく訓練を装置を使ってしていなかったようですね。
 「絶対安全」とかいうのはその時使えるすべての安全装置を使えていえる可能性が出てきます。でも、地球自体が「絶対安全」な乗り物ではないのです。
 もう、「絶対安全」という考え方を再考しませんか。

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