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2011年5月 5日 (木)

「後悔、先に立たず」、漸くでた「事故は人災」

 5月1日に各報道機関で報道された東京電力副社長が「“事故は人災”」といったというのがありました。もっとも「個人的には人災だと思う」というものです。
 そう、長い間「想定外」「想定外」と自らの「思考停止」を棚に上げた発言が繰り返されてきたあとなので、「個人的には人災だと思う」と「個人的」がついていますがよく発言できたと思うのです。
 「人災」ですと、東京電力の賠償責任がより重くなりますね。もっとも、共犯に近い保安院はどうなるのかという問題がありますが、天下り状況とか考えると「税金は使って欲しくない」ですね。
 後で思えば、原子力発電所建設および運営費用からみたら、ごく小さい部分を「防災」に使っていたらということでしょうね。
 このような背景には、「過信」と「認識不足」による思い込みがあったのでしょう。それと、常に「絶対安全」を標榜したがる国民性の問題かな。だから、施設設備の変更が困難になっていると思います。事故などが起こらないとできないような風潮も。でも、「絶対安全」とかを唱えているうちに、いつしかそう信じてしまって「思考停止」状態になっていったのでは。
 太平洋戦争に突入していった日本軍も「神国日本」や「突撃神話」などを信じ込んで「思考停止」状態になり、周りにもそのような状況を押しつけていっていましたね。それと、同じような状況にね。
 今回の事故に関してですが、フランスでは「事故は起こるもの」として、対策を考えているとか。福島では「絶対安全」という意識の下であったためが、事故後の対策にいろいろ問題が多発していますね。
 外部電源の問題ですけど、どこかの原子力発電所では、原子炉が停止して発電が止まったとき、どうするかで「隣の原子炉の発電機から給電を受ける」というのがあったというのです。これは、マグニチュード7~8程度の地震すら、想定していないということをさらけ出していますね。
 余りにも自然の力を過小評価していたのが今回の事故ですね。

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