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2011年2月10日 (木)

教育熱心とはなになのか

 2月8日にniftyでSAPIO2011年1月26日掲載の『日本のお母さんは教育熱心ではなく教育“結果”熱心なだけ。このままでは中韓に置いていかれる――僕も銭湯帰りの父に“好奇心の種”をもらった 親と学校は子供に「考える力」を身につけさせよ』というのを見つけました。詳しくはサイトまたはSAPIOで。
 今、よく「教育熱心」といわれるのは、子の勉強をコントロール(塾通いなど)し、テストで高得点を目指すというものかな。まあ、点数は高い方がよいとは思うのですが、その方法に問題があると思います。この記事でも益川教授は 「学ぶよろこび」より「自分の頭で考えて感じる面白さ」の方を推奨していると読みました。
 「自分の頭で考える」となると、基本事項は理解しているはずですよね。理解しているということは大抵覚えていますよ。それがあるから、未知の部分への関心が広まるのではとも思います。そして、それが、新しい「知識欲」とかになって、さらなる広がりを持ってくるのでと考えるのです。
 ところが、今の教育の現状は制限された範囲内でいかに短時間で素早く(考えていない)正解を回答するかですね。「解答」ではなく「回答」です。これに捕らわれているのですぐに「答え」をほしがります。それが、積み重なると、すべてにおいて「回答」は与えられるという受け身の感覚になるのでしょう。ですから、勉強をいうのは「与えられた回答」の丸暗記になっていくのでは。ですから「刻苦奮闘」とか、「根性」とかが出てくるのですね。
 自ら考え、新しいことを見つけたりする楽しさを知れば、俗に言う普通の勉強もできるようにするのは簡単だと思います。ただ、そのとき、親や教師のレベルが低いと関心事のみになって、学力の広がりに欠けた勉強になるのではと思います。
 考えるのは時間がかかります。親や教師はその時間を待つ必要があるのですが、待つことのできない大人が増加してきていると思うのです。それが、日本の子供の学力の低下に拍車をかけている一因ではないでしょうか。
 短時間で得られる「結果」に固執する教育熱心は多くの場合、子供の学力は伸びなやんでいますよ。ただ、周りがみな、そのような状態なら「みんなで・・・ば怖くない」状態になって、その異常事態に気がつかなくなってしまいます。このような親を結構見かけます。親本人にそのことをわからせるのは難しいですね。その結果としての「見えない虐待」が延々と続くことにもなるのです。「見える虐待」も大変なことなのですが、「見えない虐待」も同様だと思います。

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