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2010年3月 9日 (火)

虐待と躾の狭間

 3月7日の日本テレビ「真相報道 バンキシャ」で「一家でホームレス 止まらぬ"虐待"の連鎖」というのがありました。結局、子が虐待で死亡してしまうわけですが、その時の親の言い分が『「躾」のためにしている』ということですね。
 「躾」ですが、育ててきた経験からいいますと、叩く、罵倒する、食事を与えない、等々などおこなわなくても普通の大人に育っていきます。暴力的方法で育てるより良い大人にね。
 「叩く、罵倒する、食事を与えない、等々」をおこなうというのは、「虐待」そのものであると考えられるのです。子どもがそれなりに生活体験を積んでいけば、「穏やかに親が良い見本を見せつつ、諭せば」躾はできるのです。親が見本を上手く見せるというのは、よくいわれる「親の背中を見て育つ」というものです。
 それと、「家族」の見本は大抵、育てられた家庭しかないのです。そして、それを「よい家庭」と思い込んでいるというのも虐待の連鎖に繋がっていると考えられます。
 ですから、虐待の防止は「暴力的行為」があれば、警察権力を使ってでも介入するほかには、子どもを助ける方法はないと考えます。「親権」は虐待でない状態でのみ行使できるものとする必要があると考えます。虐待の中には「見えない虐待」という現象もあるといわれています。「親の期待で子を縛る」というのも虐待にはいると斉藤学氏が著書の中で述べられていました。それから考えると「成績不良に付・・・」とかいうものですね。暴力ではなく、何らかの罰を与えるというものです。
 もっと虐待の概念を拡大する必要があるのが日本です。欧米に比べて何周遅れているのか、想像がつかないです。これは、子どものみならず大人を含む「メンタルヘルス欠如社会」だからでしょうね。
 親が子どもに見本を見せるためには「時間的ゆとり」が持てるような賃金や労働時間が必要になるのですが、工場が海外との競争に疲れて、海外に出ていくような経済政策を続ける限り、そして、高付加価値で勝負できる企業の足を引っ張るような政策をしている限り(規制がこれに当たるかな。)厳しいでしょうね。もっと、国内で雇用が持続的に増加させるには製造業などの付加価値をつけた製品やサービスを海外にも輸出できるような産業ですね。
 それと、「よい親」になるためには学習が必要であるということで、学習機会を増やしたりして啓蒙することもね。このときですが、「学習」は強制されてするものではないということを、よりよい人間になるためにするものであるということを広げる必要が。ですから、学校での順位とかは止めるべきで、「到達度」とかに評価を変え、フィンランドみたいに理解の遅い子どもに手厚い補習とかを出来る体制も必要です。
 日本での虐待は「虐待の連鎖」が起こっているので減らすのは難しいかもしれないですが、子どもを助けるためには警察権力を使ってでもおこなう必要があるのではと思います。

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