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2009年10月28日 (水)

1人でじっくり考える習慣

 10月26日の日本経済新聞のサイトで「ノーベル賞南部氏、受賞後初の国内会見」という記事を見つけました。その中で南部陽一郎・米シカゴ大学名誉教授(88)が『「先生に教わるのではなく、1人でじっくり考える習慣が身についていたことがよかった」と振り返った。』というのです。
 「1人でじっくり考える習慣」という習慣が近年、軽視されてきているような感じがします。記事の中に『若い研究者について「日本も米国も優秀だが、情報過多でゆっくり考える余裕がない」と同情した。』というのもありました。この「情報過多」で考える余裕が、あるいは考えなくても「ネットで調べれば」とかいうような理由で考えなくなってきているように思われます。
 参考書とかで「よく出る順・・・」とかいうのがありますが、これ、自ら考えて頻出度を感じてというのではなく、あてがいですね。多くの場面で「考える」ということを放棄している者が増えてきているように思われます。
 「考える」ということは、訓練して鍛えていくことになると考えます。その第一歩が「考えながら記憶を思い出して書き留める」ということかもしれないですね。「考える」ということは適切な量の使える知識があって初めて出来るものだと思うのです。脳の中に整理されて出力回路と適切に繋がっている「記憶」というものが必要であり、これを使って、脳の中で試行錯誤を繰り返しながら、なんらかの言葉として出力されることだと考えます。
 ですから、「丸暗記」では「思考」の足しにはなりにくいでしょうね。そして、記憶とその言葉の意味するところが正確に結びつくことも少なくなるのではと思います。「考える」ということと「記憶」というのは切り離すことの出来ない両輪ですね。
 「三人寄れば文殊の知恵」という諺もありますが、「1人でじっくり考える習慣」というのも非常に価値のある重要な習慣だと考えます。

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