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2008年9月17日 (水)

見える虐待と見えない虐待

1999年発刊の「こころの科学セレクション 依存と虐待」斎藤学編集 日本評論社刊 のなかにあった概念というか事象が取り上げられていました。
ある母親が勉強をしている息子に夜食にとラーメンをつくって持って行って振り向きもしない息子に「がんばって」と声を掛けたら、ドンブリごとラーメンが飛んできて、「これ以上どう頑張れというのだ」と言って、それから、母親への暴力が始まった。それで、カウンセラーのところへ母親が相談しにいって「息子を直してほしい」とかなんとかいったというのです。
編者は、母親が長年「親の期待で子供を縛る」という虐待をしてきたことにこの母親は気がついていないと書かれています。
殴る、食事をさせない、などは外部からわかりやすいですが、「親の期待で子供を縛る」というような虐待はわかりにくいですね。そして、この息子のように声を上げるのは少なくて、虐待から逃れようとせず、健気に努力しているこの方が多数であろうとも。さらに、このような親子関係が「健全」と思われている状況を嘆かれていました。
どうしてかというと、「子供は親の喜ぶ顔が見たい」という意識が根底にあるというのです。それで、親の期待に添うように努力をするわけですね。ところが、現在の親の期待する価値観は大体同一ですね。そう、「学業成績がよいこと」、それも「順番」が基本ですね。勝者はまだいいですけど、敗者が必ず出てきます。どちらに対しても虐待の可能性があるのですが、敗者の方により強く出てきます。ですから、どこかで躓いたりしたら、その中から、虐待から逃れるためにラーメンを投げつけるような子がでてくる可能性がありますね。
「子供は親の喜ぶ顔が見たい」という意識で子供が頑張るので、「親の期待」がいつの間にか「子の希望」と思い込んでしまう親もいるようです。この場合、親は虐待とは気がつかないでしょうね。
詳しくは「こころの科学セレクション 依存と虐待」を読んでみて下さい。

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