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2008年3月23日 (日)

日本に「信仰の自由」はあったのか。

3月19日に朝日新聞のサイトで「沖縄の戦死者遺族、靖国合祀の取り消し求め提訴」という見出しの記事を見つけました。それで、「信仰の自由」が日本に存在したのかということが???がでてきました。「信仰の自由」には「信仰の拒否」または「他宗教への信仰の拒否」が含まれているはずです。
日本はもともと多神教の国ですね。ですから、一神教みたいなことはなく、外来の宗教も受け入れてきたのでしょう。でも、古来の宗教観が壊されることはなかったようです。ところが、外来(日本古来のもにもある可能性はあります)の一神教は、その宗教だけを信仰するかどうかだけですね。外来(日本の一部を含む)の宗教を信仰すると言うことはそれ以外を信仰することができない教義になっていますね。
「靖国神社」の問題はこのような点で起こってくるのでは。「信仰の自由」には「信仰の拒否」も含まれるべきであると考えるのですが、日本の歴史を振り返ってみると「信仰の拒否」の否定の歴史が見え隠れしています。そして、特定の思想の強制をした時代がありましたね。
江戸時代は、今みたいな権利意識はなかった時代ですので、「寺請制度」による強制ですね。これで、仏教への庶民の信仰形態が形骸化したのではと思っています。
明治になってからの「国家神道」です。この延長線上に出てくるのが、「靖国神社」ではと思っています。
「信仰の自由」の否定が「言論の自由」の否定に繋がり、太平洋戦争へと繋がっていったのではと考えています。そして、大事な「天皇制」(国家神道にとって大事な)を自ら潰しかけたのが現実です。
太平洋戦争をしていなければ、今も「大日本帝国憲法」のままだと思います。それを「日本国憲法」に改定せざるおえなくしたのは「靖国神社への合祀」などに見られる国家主義ではなかったのではと考えている次第です。

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