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2006年8月 5日 (土)

「対米戦争開戦の詔勅」に関して

済みません。8月なもので多くなってます。
8月5日日経社会面の「昭和天皇との10年 富田メモから ③」でこのことについて書いてありました。
昭和天皇はある言葉を入れたかったというのです。その言葉とは、明治天皇が日露戦争でだされた「国際条規の範囲において一切の手段を尽くし、遺憾なきを期せよ」という詔勅だったというのです。
大日本帝国憲法下でも天皇陛下が直接国政に指図をすることはできず、ただ、報告を聞くだけみたいな立場だったといいます。ですから、開戦の詔勅も時の内閣の意向というか許可を必要としているのです。
その結果「国際法規の範囲内で・・・」が削除されたのですね。削除したのはだれか。皆さん考えてみてください。
日露戦争での日本軍の捕虜の扱いなどは世界から称賛されています。第二次世界大戦では、国際法規違反ゾロゾロですね。
そして、天皇陛下に死を覚悟させ、大日本帝国憲法違反の国事行為として「玉音放送」をさせたのは誰なのか。
当時、「国体護持」とかを叫んでいた政権中枢にいた人物たちですね。
日本が破滅に突き進んでいった隠したい事柄に目を背けることなく検証し続ける必要があると考えます。

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